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検査は出世魚かー介護の日々

母がトイレに頻繁に行くようになったのは、いつごろからだろう。1年前、2年前、それとも5年前。

最初は本人もそれほど気にしていなかったが、半年前くらいから夜中も1時間おきに行くという。
これはさすがに困るし、膀胱炎とかそんなものだったら薬を飲めばいいかなということで主治医に紹介状を書いてもらって、近くの総合病院に行った。検査は超音波と普通の尿検査。まあ車で10分くらいのところなので、大した負担もなく済んだ。

その1週間後、今度はCTを撮ったほうがいいでしょう、ということで予約をして撮影。これは撮影だけなので、30分程度で済んだ。
その数日後の受診で、担当の医師から気になるところがあるということで婦人科の受診をすすめられた。どこか行きつけの婦人科はあるかと聞かれたが、母はおそらく私を出産後は、産婦人科には縁がなかったようで思いあたるところもない。そこで今度は車で1時間ほどの地域最大の総合病院へ行くことになる。

このあたりからどうも様子がおかしいなあと思い始めた。

ちょうどコロナの緊急事態宣言が続いていたころでもあり、できるだけ通院の人数も少なくということだったので、私一人が付き添って新しい病院に行くことにした。
産科、婦人科に行くのは、いま27歳の次男が誕生したとき以来だが、私にとっては不思議なところだ。なにしろこれから出産するという若い人、何か不安を抱えていそうな方、そして私の母のような高齢の女性が同じ待合室に座っているわけで。
産科だけならば、なんとも明るい雰囲気なのだろうけれど、この病院の待合ロビーはいろいろな感情がまじりあっているように思えた。

問診票というのも記入したが、初潮年齢、妊娠回数、出産数、などなど母のかわりに書くのも妙なものである。母の初潮年齢は15歳ということを知ったが、まあ、それ自体はどうということもないが、いまよりもだいぶ遅いという本などで知っている知識が裏づけられたような気がしたり。
15歳というと母は昭和4年生まれなのでアジア太平洋戦争の末期にあたるわけだが、生理用品などの調達も大変だったろうなど、余計なことまで考えてしまった。
(しかし、高齢の婦人科受診でここまで聞く必要があるのかなあとも思ったが。)

担当医は若い女性でとても丁寧だったし、検査担当の看護師の方も、みな優しかったのは救いだった。
ただ、大病院の検査はそれだけでも大変で、診察、検査、その結果を聴くという3回の通院だったが2回目からは、すべて車椅子での移動、リハビリパンツ着用となって、高齢の母には負担の大きなものだった。
ここでは婦人科の超音波、MRI検査をした。MRIは、もう緊張の連続で終了後は明らかに体調も悪くなり、パーキンソンの震えも目立った。

結局、普通の超音波→CT→専門的な超音波→MRIと検査を進めることになった。これで何かよくなるわけではないし、必要ならばということで続けたわけだが、それでよかったのかどうか。。。

「検査は出世魚」みたいだ、というのが率直な感想だ。

すべての検査が終わり、結果を聴いて、結局、特に治療はしないということで元の主治医あてに「診療情報提供書」をもらってこのシリーズはとりあえず終了。元のさやに戻るということになった。
結局、母の頻尿はなにも改善されず、さらには原因もよくわからないまま。
思えば、確か2年前くらいにやはり同じようなことで、泌尿器科への紹介状を書いてもらったことがあった(その時は母は一人暮らしで、いまよりはずっと元気だった)。そのときは、また余計に薬をもらってもしょうがないとか、本人が乗り気でなかったとかの理由で行かなかったのだったけれど...
あのとき今回と同じ手順を踏んでいたら、結果が違っていたかどうか... 誰にもわからないことだ。

出世の階段を上って、最後にまた振り出しに戻ったというのが今の感想だ。
でも、私にとって何かが変わってしまったのも確かである。
このあとの日々をどう過ごしていくか、知らなければ済んだことを知ってしまって、そしてそれがどうしようもないことだとしたら、それにはどんな意味があるのだろう?

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