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麻疹の痕 第19話

 ミツアキはメグミさんから、店の一番奥にちょうど空いていた席に通された。隣になった男は、その幸運をなんとかモノにしたいのだろう。懸命に話し掛けようとしているが、ミツアキはそちらを見ようともしない。
 あれが慶介の元彼のミツアキなのだろうか。名前だけだったら、同じということもあり得る。他に何か調べる方法はないだろうか。あの調子だと、こちらが話し掛けても無視されてしまう気がする。じゃあ、どうしたら良いだろうか。そうだ。ロッキーはミツアキのことを知っているようだ。聞いたら、あの男が慶介の元彼かどうか、わかるかもしれない。
 ガチャリ。ドアが開く音がする。そちらを見ると、慶介がトイレから出てきた。ミツアキはトイレからまっすぐ見える先に座っている。きっと目には入るだろう。あの男が元彼だったら、何らかの反応をするかもしれない。
「お待たせ。じゃあ、行こうか」
 慶介はミツアキの存在など全く目に入らないかのように、僕に話し掛けてきた。そして、お店のドアを開ける。僕たちが帰ろうとしているのに気が付いたメグミさんが声をかけてくる。
「慶介くん、今日もありがとう」
 僕はミツアキの方を見た。彼はこちらを確認する素振りすらせずに、手元の端末を弄っている。やっぱり違うんだろうか。僕は手を振っているロッキーに手を振り返して、店を出た。
 僕たちは慶介の家へ帰るために駅へ向かう。歩きながら、慶介は僕に聞く。
「オレ以外のコッチの人に会ってみて、どうだった?」
「メグミさんはテレビに出てきそうな人だけど、ロッキーとそのお友だちは普通っぽかった」
「ははは。メグミちゃんは客商売だから敢えてあんな風にしてるけど、真面目な話をする時は普通なんだよ」
「えぇ? メグミさんと真面目な話をするなんて、想像つかない」
「ああ見えて、あの店以外にもいくつか事業をしているやり手の経営者なんだ」
「へぇ」
「そういえば、ロッキーの学校はいつ見学へ行くことにした?」
「水曜日の午後」
「そっか。オレ、その日は仕事で帰るの遅くなるんだ。ごはんは外で食べてきてもらってもいいかな」
「オッケー」
 さっきの店でミツアキさんっていう人がいましたけど、あれって慶介の元彼ですか。喉まで出かかっているけれども、それを言葉にする勇気が僕にはない。あの男性が慶介の元彼かは知りたい。だが、その名前を口にしたことで、慶介の頭に再びミツアキという名前が浮かんでしまうのが僕は怖い。
 寝言で名前を呼ぶくらいだ。それなりに思い入れがある相手なんだろう。そんな男と、この広い街でたまたま出会ったなんてことを知ったら、運命を感じてしまうかもしれない。それにあのルックスだ。あの男性が元彼のミツアキではなかったとしても、慶介にその存在を意識させるリスクは高い。大体、ミツアキの正体を確認したところで、何ができる訳でもない。
 そんなことは頭ではわかってる。だが、どうしても気になる。なんとか慶介に知られず確認する手段はないものだろうか。やっぱりロッキーに聞いてみるのが良さそうだ。水曜日に会った時に聞いてみよう。決めた。さて、とりあえず僕が今できることは、慶介に僕のことをもっと好きになってもらうことだ。まずは今日、家に帰ってからーー。

 地下鉄を降りて改札を出た。柱の前でロッキーが手を振っている。僕は小走りで近寄っていく。
「お待たせしました」
「んー、全然。じゃあ、行こうか」
 ロッキーは自分についてくるように合図する。彼はきちんと時間前に来ていた。見た目と違って、実際にはきちんとしているようだ。こういうところは和樹にも見習ってほしい。
「今日はお願いします」僕は頭を下げる。
「そんなにかしこまらなくてもいいよ。この前、タメ語って言ったじゃん」
「はーい」
「よろしい」
「地元にいる時は僕がいつも案内する方だから、ちょっと新鮮かも」
「へぇ。どういう案内?」
「父さんのお客さんを地元の観光名所に連れて行ったり。慶介は川遊びに連れていったな」
「川が有名なの?」
「そんなことないんだけど、慶介が『行きたい』って言ったから」
「ふぅん。慶介さん、シュウの裸が見たかったんじゃねぇの」
「ははは。川が観光資源として使えるとか、そっちの方に夢中だったみたい」
「真面目か。まあ、慶介さんらしいけど」
「そういえば、ロッキーは慶介と何で知り合ったの?」
「一年くらい前にあの店で会ったのが最初かな。すっげぇイケメンと一緒でさ」
 僕の心がグラリと音をたてて揺れたような気がする。耳を塞いでしまいたい。けど、これは僕が知りたかったことだ。ちゃんと聞かなくちゃ。僕はロッキーの言葉に意識を集中させる。
「その時は一言も話さなかったんだけど、次に会った時は一人だったから『どうしたら、ああいう人とヤれるんですか』って聞いたんだ」
「それ、本当に聞いたの?」
「もちろん。だって、知りたいじゃん。それからだな、仲良くなったのは」
「そうなんだ。ちなみに最初に二人が会った時、慶介と一緒だったのって、この前僕たちが帰る時にお店へ入って来た人? 確かミツアキさんだっけ」
「ん。ああ、そうだけど」
 答えた後にロッキーは「しまった」というような顔をした。これであの男性が慶介の元彼だということは、ほぼ確定だ。
「慶介から『昔、付き合ってた人だ』って聞いてたんだ。綺麗な人だよね」
「だな。三人で遊んだこともあるけど、ああ見えて意外とフレンドリーな人でさ」
 ロッキーはこちらがミツアキのことを知っているとわかって、安心したようだ。彼が知っていることを引き出しておきたい。どういうアプローチならば、警戒されないだろうか。
「そっか。それなのに何で別れちゃったんだろうね。もったいない」
「さて。慶介さんも、あんまりその話はしたがらないんだよね。まあ、ミツアキさん、イケメンだから。っと、着いた。ここがうちの大学」
 写真やホームページで見たことのある門だ。守衛さんが立っている。だが、ロッキーが一緒だからなのか、あまり気にしている様子はない。僕たちはそれが自然かのように構内に入った。中はまるで森のようだった。道沿いに木が植えられており、道に覆い被さるように歴史を感じさせる建物が立ち並ぶ。歩く学生はまばらだ。まだ夏休み中だからだろう。
「あれ、ロッキーじゃん」
 誰かに声をかけられる。男性と女性の二人組だ。ロッキーの友だちなのだろう。
「おう」
「何してるんだよ。かわいい子連れて。もしかして、デート?」
「そうだよ。だから邪魔すんな」
「わかった、わかった。また今度な」
 二人組は手を振ると、校門の方へ歩いて行く。僕はロッキーに訊ねる。
「お友だち?」
「同じ語学のクラスメイトかなぁ」
「あんまり仲が良い訳じゃないの?」
「うん。たまに話をするくらい」
「気のせいかもしれないけど。あの人たちって、ロッキーがゲイだって知ってなかった?」
「ああ。ボク、みんなに言ってるから」
 ロッキーはたいしたことじゃないかのような顔をしている。
「え、隠してないの?」
「うん。言っておいた方が、わかりやすいじゃん。高校の時もクラスメイトと付き合ってたけど、誰も気にしてなかったよ」
 なんてことだ。これが都会なんだろうか。もし、美那郷で同じことをしたら、どうなるだろう。それを考えたら、怖くて僕には到底できない。
「すごいね」
「そう? 自分の人生だもん。自分らしくいきたいじゃん」
「周りは気にならないの?」
「別に。それで離れていく人って、結局のところ、ボク自身よりもレッテルの方を見てるってことでしょ。どうでもいいよ、そんな人」
「こっちはどうでもよくても、相手は色眼鏡で見てくるでしょ。それが不利益になることもあるよね」
「かもね。でも、それは自分らしい人生を歩むと決めたら、引き受ける覚悟が必要なことだから」
「ロッキーは都会でしか暮らしていないから、そういうことが言えるんだよ」
「それはそうかもね。ここなら『世間の常識』とやらから外れても、どこかに居場所はある」
 ロッキーの声は落ち着いている。ふと僕は自分が熱くなっていることに気が付いた。美那郷が自分らしく生きにくい場所でも、彼が悪い訳ではない。それなのに、僕は責めるような言い方をした気がする。
「ごめん。言い過ぎたかも」
「そうでもない。意見が対立するって、それだけお互いの根本に近い話題ができてるってことじゃん。そういうことをシュウと共有できてうれしいよ」
「ロッキーって大人だね」
「だろ、惚れた?」
「バーカ」
「ちぇっ、ダメか。まあ、いいや。どこか見たいところはある?」
「普段勉強してる教室とか」
「休み中だから空いてない部屋もあるけど、ざっと見に行こうか」
 ロッキーは教室や図書館、サークル棟など、いろいろなところを案内してくれた。行く先々でロッキーの友だちやら、知り合いと会ったので、彼は有名人のようだ。その度に「彼氏?」と聞かれたのには、愛想笑いせざるを得なかったが。
 一通り巡っただろうか。休憩のために、僕たちは校内にあるカフェテリアへ入った。コーヒーを買うと、空いている席を見つけて、座る。
「そういえば、シュウは晩ごはん、どうするの?」
「今日は慶介の帰りが遅いから『どこか、外で食べて』って言われてるんだ」
「じゃあ、ボクと食べに行こう」
 どこか行くあてがある訳じゃない。ひとりで食べるのも味気ないか。
「うん、いいよ」
「エスニックとかどう?」
「僕、食べたことない」
「だったら、一度試してみよっか」
「わかった」
「その後、時間があればメグミちゃんのところ行こう」
 どうしようか。前回はそれなりに楽しかった。だけど、これって浮気にならないんだろうか。でも、行けばミツアキと会えるかもしれない。ロッキーと彼は友だちのようだから、話し掛けることもできそうだ。そうだ。大体、僕とロッキーは友だちなんだから、浮気にはならないハズだ。
「オッケー」
「そうこなくっちゃ」

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