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●2020年9月の日記 【中旬】

9月11日(金)

幼稚園の未就園児クラス(プレ幼稚園)にはじめて子どもを連れていった。輪になって体操したり歌ったりおやつを食べたり、幼稚園の活動の一部を体験できる。8組くらいの親子が参加していた。この園は自由な校風が有名で、たしかにそんな感じ、と思うのだけどわたし自身があまりにはちゃめちゃな幼稚園を出ているためにこの会の進行もじゅうぶんガッチリ管理的に思えてしまう。自由の基準がたいへんなことになっている。でも乱暴に走り回っていた園児たちへの教諭の声がけのしかたとか、丁寧に手入れされているようすのやさしい色合いのおもちゃとか、そういうところをみると素敵な園なのだった。子どもは教諭の弾くピアノの音色にうっとりしていた。今月のうちにもういくつか幼稚園に付き合ってもらう。ピンとくるとこ行けるといいよねえ。

幼稚園のあとは子どもの上履きを買いにでかいイオンに行った。子どもは隣の売り場ですかさずトミカの「かんかりあ」(カーキャリア)を選んでいた。あっ、高いトミカだ!と見てとったわたしは、他にもいろいろ魅力的なトミカが〜、などとブリスターパックのトミカ(安い)に誘導をこころみるも、彼の決心はかたかった。店員のいるレジにまっすぐ走って行き、台の上に確信をこめてかんかりあを置いた。30メートル後方から追いついて上履きのぶんと一緒に代金を払った。店員の女性が笑っていた。こういうとき笑ってもらえるとすごくありがたい。

上の階の映画館を見るとトーマスの映画が上映されていた。子どもと協議した結果、観ることになった。彼と映画を観るのははじめてだ。ガゼン気分が盛り上がってきた。上映開始まで時間が空いていたのでステーキ屋でステーキを食べた。子どもはパンケーキを食べた。精もつけたところでいよいよ子どもの初映画、はりきって劇場に入ったところ、観客がわれわれ含めて2組しかいない。申し訳なくなるくらいの贅沢空間だ。子どもは予告編のときにはわたしにしがみついて「鬼滅の刃」や「映画泥棒」に怯えていたが、本編がはじまると見慣れたきかんしゃの面々に安心したのかスクリーンに向き直った。そこからは1時間わたしの膝の上で動かぬ巨大まんじゅうのようになってトーマスたちの物語に没頭した。映画デビューはあっけないくらいうまくいった。

気持ちよく帰宅したのだが、夜ものすごい吐き気におそわれ苦しんだ。たぶん食あたり。ステーキ屋かな、ふだん食べつけない牛肉をけっこうレアでいただいたから……。動きまわる子どもが気になってほとんど噛まずに飲み込んでいたし……。
夕飯用にあと炒めるだけのところまで用意した食材を投げ出してのたうち回り、子どもまわりのことも何もできなかった。夫がみそ汁をあげていた。みそ汁のあと、ほぼ自力で眠ってくれて助かった。

9月12日(土)

食あたりのダメージが尾を引き、朝はみそ汁をすするので精いっぱい。昼は鶏雑炊をたいて食べ、夜やっと生姜焼きを食べるところまで回復した。

今日の子どもは粘土あそびにはまっていた。平らくのばした粘土にトミカを押しつけて型をとっていた。高揚した声で「フォークリフトがたいへんなことになっているー」と言うので見にいくとたしかにちょっと大変なことになっていた。

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なんか怖い。
つまようじでかき出してことなきを得た。

9月13日(日)

成城石井のデザートを買ってきて子どもが寝ているあいだに食べた。わたしは豪華マンゴープリン。夫は豪華杏仁豆腐。レモングラスティーもいれた。夫とふたりでおやつを食べるのは久しぶりだった。子どもが泣いて起きてきてわりとすぐに解散となった。

9月14日(月)

夢のことを考えていた。

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子どもがうまれてから不思議と夢を見なくなった。以前のわたしは眠るたびほとんど必ず夢を見る人間だったのだ。今も見ていないわけではなくて憶えていないだけかもしれないが、なんにせよ眠りの質が以前とは変わったのだろう。子どもと眠るようになる前までとは。

夢をよく見ていたころはよく携帯のメモアプリに記録をつけていた。ひさびさに見てみたらそこそこ膨大な記録で読みごたえがあった、わたしが読むぶんには。ひとつの日付にふたつ以上の夢が書かれていることもあって、たしかに2、3個の夢の記憶を引きずったままでいる朝もザラだったなと思い出した。夢にいくらか侵食された日常を過ごしていた当時を思うと夢をほとんど見ない今が少し物足りない。また夢をたくさん見る時期がきてほしい、あれはあれで疲れるけど、現実がふたつあるみたいで楽しいのだ。

当時の夢メモよりひとつ抜粋。

京都の町がスヌーピーストリートになっている。わたしはじぶんの取扱いがうまくできず、凶暴性に苦しんでいて、チャーリーブラウンに相談の手紙を書く。そういうのを受け付けているらしかった。20150320

9月15日(火)

仕事に向かう電車のなかで服をネット注文すると決めていたのにだめだった。わたしは車内でスマホを睨んで混乱しているだけの人間だった。洋服のことをうまく考えられない。身につけるものについて勘がちっともはたらかないのだ。いつも着る服がなくなると仕方なく、匿名性の高い服屋におもむいてウーと呻きながら時間をかけて試着して(脱ぎ着もにがてだ)なんとか着るものを調達している。ネットショッピングなんてとてもじゃないが無理だった。それも通勤の片手間にササッとなんて。またひとつ自分にがっかりしながら電車を降りた。今日の服装も意味不明だ。

仕事先の更衣室で意味不明な服を脱ぎ捨てたとたんに力が戻ってきた。わたしは衣服をまとうと弱る人間。というか衣服って基本的にナマの存在感をできるだけ消すためにあるよなあ、と腹立ちまぎれに思う。モデル台に立っているときのわたしがいちばん強い。

9月16日(水)

横浜で仕事をして家に戻ってくるともう保育園に子どもを迎えに行く時間だった。靴も脱がず玄関に荷物をドッカと置くだけ置いてそのまま出ようとすると、仕事をしていた夫が自室から出てきてわたしを止めた。俺が迎えに行くよと言う。よほどくたびれた様子だったらしい。それでわたしは靴を脱ぎスキニーパンツからも脱皮して椅子に座ることができた。横浜で買ったカレーパンを無心で食べた。晩ごはんのために煮物をつくりはじめ、それは夫と子どもが帰宅したあとにできあがった。大根が苦くて失敗だった。悲しみながら食べた。大根をよけたら子どもがよく食べたからよかった。

子どもは風呂場に行くのがきらいで、今夜も風呂への連行を試みるわれわれ親に徹底的に抗った。湯を浴びなくても死にやしないので「じゃあ歯みがいて寝ちゃおっか」と折れる日もあるのだが、昨日折れてしまったために今日は折れてやれない。子どもの頭皮からはシナモンのような不思議な香りが立ちのぼっていた(くさくはならないので本当にえらい)。

奇祭のような騒ぎで入浴を終えたころにはわたしも夫もぐったりで、風呂上がりのもちもちで妙にごきげんな子どものテンションについていけない。そう、風呂って入る前はいやだけど、入ってしまうと不機嫌でいることができなくなるよね。わかるわあ(寝)。

9月17日(木)

子どもは保育園に行き、わたしの仕事は休みだ。こういう日には少し手間のかかる調理をするのが好きだ。野菜をたくさん刻むのがいい。たっぷりのセロリを買ってミートソースを作った。500グラムの肉とトマト缶を2つぶん使ったから、深いフライパンいっぱいにミートソースが煮えた。合間に刻みレモンの塩漬けとりんごジャムを仕込んだ。このように集中して食べものを調理すると「よし!これでしばらく遊んで暮らせるぞ」と思えるので、それが好きだ(遊んで暮らせはしない)。

夕方、子どもを連れて公園に行くといつまでもいつまでも遊んでいた。他の子どもがひとり、またひとり帰っていくごとにはりきって遊ぶ。みんなが帰ったあとの暗い公園で遊ぶのはたしかに楽しい。ついに誰もいなくなってしまって、わくわくする。滑り台を変に滑っては「おもしろいねえ」と言う子どもと一緒になって笑った。思えばわたしは小さいころからひとりで遊ぶのが好きだった。鈴虫のなく声が寂しくひびく夜の公園を見わたして、根っからこういうのが好きなのだ、と思った。そしてどうやらわたしの子どもも(いまのところは)こういうのが好きらしい。

仕事を終えた夫が迎えにきてくれてやっと公園を出た。夕飯にはさっそくミートソースをスパゲッティにからめて食べた。夕飯のあいだ子どもは眠くてたまらない様子だった。

9月18日(金)

親子で幼稚園に行き、2度目の未就園児クラスに参加してきた。
クラスの活動の中で、子どもはすべての集団行動を徹底的に拒んだ。座って話を聞くときに座っていられず、移動のときは移動のかわりに脱走を試みた。そういう気質だとは知らなくて(通っている保育園はとても小規模で集団行動というほどのものは発生しないのだ)、新しい発見だった。
協調性に欠け、集団行動を苦手とすることにかけては34年選手のわたしである。教室に移動するみんなを尻目に園庭へ脱走して砂場で遊びだす子どもを見ても「わかる……」という感想しかない。子どもの立場で考えたとき、教室に向かった他の親子たちに合流しなければいけない理由なんてあるだろうか。思いつけない。説明してやることができない。弱々しく「行こうー?」などと声をかけながら実質ただ砂場の横に突っ立っていた。
しまいには補助教員の方が迎えにきて、教室に巧みに誘導してくれるまでそうしていた、いやはや。社会的動物としてのわたしの欠陥が浮き彫りになる日々である。

帰宅してシャワーを浴びて、きれいな体で成城石井の弁当を食べた。自宅で仕事をしている夫も昼の休憩に入り一緒に食べた。子どもにフォーを分け与えていた。

午後は友だちの吉田とRちゃんが遊んでいるところに合流して、公園に連れて行ってもらった。吉田の子どももわたしの子どもも公園が大好きだ。数年前までだいたい酒を介して会っていた3人の女が平日昼の公園で子どもに付き合っている。不思議な気がするし、楽しいし、ビールが欲しい。
しっかり暗くなった帰り道、疲れたのか自転車のうしろで寝てしまった子どもをマンションの部屋までかついでいき、布団に置いてしばらく添い寝をすると寝息が聞こえてきた。

夫に外出の宣言をして、徒歩圏内の店に飲みに行った。昼下がりの公園で感じたビール飲みたさが忘れられなかったのだ。生ビールを頼んで、今日は一緒に飲めなかった吉田とRちゃんと乾杯するつもりで飲んだ。客が他にいなかったのでマスターとしょうもない話ばかりして癒された。酒場での雑な会話でしか溶かせない疲れってある。社会的動物としての業が深い、落第点のくせに。

うなぎパイをもらって帰った。

9月19日(土)

家から一歩も出なかった。
床を拭いた。
夫と子どもは午前中いっぱい児童館や公園で遊んで帰ってきた。

昼:ミートソーススパゲッティ
夜:ごぼうのみそ汁/セロリと豚肉の炒めもの

を作ってみんなで食べた。
子どもはみそ汁のささがきごぼうを気に入ってもしゃもしゃとよく食べていた。この子は基本的に食べものの好みが渋い。きんぴらとかひじき煮とかそういう茶色いおかずを好んで食べ、ポテサラとかハンバーグとかのチャラついた(?)献立には反応が薄い。調理担当のわたしが渋いものを好んで作るためにこうなったのだろうか。思えばわたしも母の作る渋い料理が好きだった。脈々と受け継がれていく茶色い料理の系譜。

9月20日(日)

夫の両親宅に泊まりに来ている。ふたりに会うのは正月ぶりだ。南関東から南関東への移動だから、帰省というほど大仰なイベントでもない。いつでも会いに行き来できる距離に住んでいるのに正月から間があいたのは、やっぱり今年が特別な年だから。

子どもは祖父母に会えてとても嬉しそうだ。「おじいちゃん、おばあちゃん」としきりに呼んで追いかけている。5歳になるもうひとりの孫(夫の妹の子ども)はふたりを「じじ、ばば」と呼ぶので、とくに「おばあちゃん」はこの新鮮な呼称をよろこんでくれているようだった。子どもとふたりで「おばあちゃん!」「はあーい」「おばあちゃん!」「はあーい」と、コールアンドレスポンスを楽しんでいた。

夕食後、広い祖父母宅にはしゃいだ子どもが階段から転落するのを許してしまった。父母ともに相手が子どもを見ていると思い込んでいた、という過失の見本のようなクソ過失が原因だ。子どもが転げ落ちるとき、ボウリングの球が段を落ちていくような音がしてゾッとした。子どもはほんとうにひどい目にあったときだけの泣き声で泣き、それから「ひっくりかえっちゃった、ひっくりかえっちゃった、ごろんごろんて……」としゃくりあげた。ひとしきり泣いたあとは落ち着いて話ができ、目つきもしっかりしているのを確認できた。間もなくニコニコ顔でまた「おばあちゃーん」とやりだしたのでとりあえずは安心してよさそうだ。24時間は様子をみる。

受傷後、しゃくりあげながら懸命に言葉をさがして「ひっくりかえっちゃった」と説明した子どもの顔、誰を責めるという発想もない真剣な顔を思い出すと、反省で内臓が痛い。


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