見出し画像

ナンパ師になりきれない男④

 伝説のナンパ師アレハンドロ・ハリマオ曰く。

「収穫を得るには執着心を忘れてはならない。常に結果を意識することが汝の道を開くだろう」

 この言葉を見る度に僕は痛感する。僕はつい相手が出すシグナルを見過ごしてしまう。それは結果に対する執着心がないからだ。

 結城志穂の時は上手くつかめた。けれども、まだまだ精進しなくてはいけないレベルだろう。

 そういえば、あれから志穂の影響を受けて、通勤中に見かける植物の写真を撮るようになった。

 見たところで彼女のように花の名前はわからない。だが、四季の移り変わりを意識するようになった。

 こんな風に自分の世界が広がるのは人との出会いの醍醐味だ。それだけでも、彼女と出会った意味を感じる。

 さて、今晩は多恵とオーガニック料理が食べられる店に行く予定だ。早く仕事を終わらせなくては。

 学生が多いにぎやかな商店街を通り抜けたところにあるその店は、古い日本家屋を改装した造りだ。店の中に入ると中心にある囲炉裏が暖かみを感じさせる。

 二十四節気に合わせたコースメニューを見て多恵は声のトーンがひとつ上がる。

「こういうの好きです。ヒロさん、本当に私の好みわかってくれてますよね」

 料理が運ばれてきて、僕たちは箸を付ける。しばし会話が途切れた。多恵も僕も素材の味が自分の身体に取り込まれるのをじっくりと楽しんだ。おかげさまで料理が出る間しか話す時間がない。

「この前、彼と一緒に旅行に行ったんですけど、その旅館がここみたいに素敵なところだったんですよ」

「そうなんだ。楽しい時間を過ごせたんだね」

「そうですね。でも、最近ちょっと彼と仕事のことで揉めててーー。私だって自分なりのこだわりがあってやっていることなのに。彼ったらダメ出ししたり、いちいち口を出してきたりするんですよね」

 多恵は警戒心なく、僕の知りたいことを教えてくれる。彼女が何をされたら嫌なのか。それは距離を縮めるための大切なヒントだ。

「もちろん、'もっともだ'って思うこともあるんですけれどーー」

 多恵は深くため息をつく。

「そっか。まあ、彼も多恵ちゃんとの将来を考えているからこそ心配になっていろいろ言っちゃうんじゃないかな。最初は些細なことでも良いから彼に自己主張してみたらどうだい?」

「こんな風に本音でいろいろと話せるのはヒロさんだから。だって、ヒロさん、私の話を否定しないでじっくり聞いてくれるじゃないですか。彼氏に私の本心を伝えてもわかってもらえない気がする」

 そう言いながら多恵はうつむいた。心なしかその顔には少し影が落ちているような気がする。暗くなってしまったので、ちょっと雰囲気を変えよう。

「そういえば、僕もこの前旅行に行って来たんだよ。その時見た風景が綺麗で、写真を撮ったんだ」

 僕は彼女にスマートフォンを見せる。

「あぁ、いいですね」

 多恵は顔をほころばせる。

「この写真も良いですけど、ヒロさんいろいろと植物の写真を撮っているんですね」

「最近、季節感を大事にしたいと思っていてね。植物って特に時期を感じさせてくれるから、記録するようにしているんだ」

「そっか。私もそういうの好きで、いつも行く庭園があるんですよ。今の時期だったら、名物の紅葉がきれいなんじゃないかな」

「へぇ、一度見てみたいな」

「話をしてたら、私も見に行きたくなっちゃった。よければ一緒に行きますか」

「いいね。じゃあ、お休みの予定を合わせて行こうよ」

「はい。楽しみです」

 多恵の顔にはすっかり笑みが戻っていた。

 待ち合わせ場所に現れた多恵はいつもよりスポーティで、動きやすそうな姿だった。

「いつもと雰囲気違うけど、それも似合っているね」

「実はお気に入りの服なんですよ」

 多恵は嬉しそうにうなずく。

 庭園は確かに綺麗だった。休日だからか、多くの行楽客がその様を楽しんでいる。二人で回っていたら、多恵は不意に「ん」といって僕の身体を押してきた。

 どうやら、僕をどこかに連れていきたいようだ。

 そんな彼女の強引だけれども甘えた仕草はかわいい。身悶えしそうになりながらも、冷静なふりをして誘導に従う。

 たどり着いた先は色とりどりの葉で飾られた木々に囲まれていた。周囲には人の影は見当たらない。

「ここ、私の特別な場所なんですよ」

 狭い場所なので、多恵との身体の距離は近い。このまま彼女を抱き締めてしまおうか。

 しかし、彼女はまだ恋人と別れていない。

 より確実な時期を待て。その心の声に従い、僕は感情を抑えて踏みとどまった。

 景色を眺めているうちに、二人の間で言葉が途切れる。とはいえ、沈黙は気にならない。むしろ、多恵が隣に存在するのは自然の摂理といっても良いような感覚すらした。

 そう思っていたら、不意に葉が音を立てる。そして、子どもと大人が会話をする声が近付いてきた。どうやら親子連れのようだ。

 ふと周囲を見回せば、薄暗くなっていて、空もほのかに紅く染まっている。心なしか少し肌寒い。

「じゃあ、行きましょうか」

 多恵は僕を夢から覚まさせた。

 庭園を出て、僕らは夕食を楽しみながら、お互いにこれまでの恋愛や自分の家族の話をした。

 これまでは僕が多恵の悩みを一方的に聞くことが多かったが、今日は多恵から僕の恋愛観や過去の出会いについての話題を振ってきて、盛り上がった。

 楽しい時間はあっという間に過ぎ、僕たちは駅へ向かう。ホームへ続く長いエレベーターを上がっている途中、多恵は僕にささやく。

「隣のエレベーターの高校生、キスしていましたよ」

「へぇ、青春だね」

 僕は苦笑する。

「ですね。実は私、人前でも恥ずかしがらずに恋人とキスするのって憧れなんですよ」

「そうなんだ」

 多恵にもそういう一面があるんだな。そう思っていたら、頂上に着いた。

 丁度電車が来たので、またどこかに遊びに行く約束をして、僕は彼女を見送った。

 自分が乗る電車のホームに向かう途中、僕はふと多恵が何故、高校生のカップルの話をしたんだろうと考えた。

 どうやら僕は今回も予兆を見逃してしまったのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?