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ナンパ師になりきれない男⑤

 伝説のナンパ師アレハンドロ・ハリマオ曰く。

「相手を注視せよ。本当の望みを探り、与えることが相手の信頼を強める」

 未熟だった頃、僕はたびたびこの過ちを犯したものだ。

 たとえば僕は相手がネガティブなことを言った時、相手を勇気づけるつもりで「そんなことないよ」とつい答えがちだった。

 だが、ある日僕はそれをやめて、「そう感じたんだね」と同調してみた。その時、相手はほっとした顔をしたのだ。

 「そんなことないよ」は決して相手のための言葉じゃないかった。その場を取り繕って、自分が気まずさを打ち消すためのものだった。それどころか、相手がネガティブな感情を持つことを否定する言葉にもなっていた。

 それに気が付いた時、初めて僕は「相手のため」に物事を考えられるようになった気がする。


 年の瀬も差し迫ったある日、僕は仕事の関係で福岡へ行くことになった。どうせ遠出をするならば、地元の人と仲良くなりたい。そう思った僕は、SNSで知り合った古賀梓と食事をすることにした。

 待ち合わせの場所に現れた梓は、真っ赤な服を着こなす女だった。並んで歩けば、金木犀を感じさせる芳香が僕の鼻をくすぐる。

 事前に調べて予約した博多駅の裏手にあるイタリア料理屋で個室に通されると、梓は開口一番僕に宣言した。

「お話していたと思いますが、私恋人がいるんです」

 'そんな話聞いていないけどな'そう思いつつも笑顔でうなずいた。なかなか手強そうな相手だ。どうしたものか。

 料理と飲み物は揃った。とりあえず、世間話からはじめていくことにしよう。

「梓さんはずっと福岡なんですか」

「違うよ。私、元々はもっと田舎の方に住んでいたの。子どもの頃は都会に住むなんて考えたことなかったけど」

「そうなんですね」

「友だちに'来ないか'って誘われた時も最初は悩んだんだけどね。心配なことをひとつひとつ確認してみたら、そんなに問題ないかなって思えたんだ」

 そう言いながら、彼女はパスタを上手に取り分けてくれた。僕はそれを受け取る。

「だから出て来ちゃった。実際に出てきたら何とかなるもんだね。むしろこっちの水の方が私には合っていたみたい」

 梓は誇らしげに顔をあげた。今の彼女の姿を見れば、それももっともだと思える。

 その店は特製のサングリアが美味しくて、二人で次々頼みまくってしまった。飲み過ぎたような気もするが、楽しいから良しとしよう。アルコールが回っているのか梓も妙にテンションが高い。ご機嫌気分にひたっていた僕に梓がたずねた。

「裕志くんは付き合っている人、いないの?」

 梓の瞳は猟を楽しむ肉食獣のそれだった。つれないふりをして、相手を挑発してみるか。

「いないですよ」

「うっそだぁ。こんなに良い男なのに。真面目そうに見えて、一番タチが悪いタイプでしょ」

「あはははは。そんなことないですよ」

「そのさらっとした言い方が怪しい。絶対に何か隠しているでしょ。キスして裕志の本性暴いちゃおうかな」

「また、冗談ばっかり」

「本当だよ」

 梓は獲物を追い込むような目で僕を眺めた。

「梓さんみたいな綺麗な人に言われるのはうれしいですね。でも、梓さんは彼氏いるじゃなかったでしたっけ?」

「まあね。でも、そのすました顔が乱れるのを見てみたい」

「本気ですか」

 梓を試すような口調で言いながら、僕はテーブルを乗り越えて彼女へ不意討ちを食らわせる。

 梓は抵抗しなかった。

 彼女の部屋で一戦交えた後、梓はシャワーを浴びにいった。残された僕は携帯をチェックする。多恵からだ。

「急な連絡ですいません。ちょっとご相談したいことがあるんです。今日お時間ありますか」

 僕はすぐに返事を打つ。

「ごめん、今日は九州出張中なんだ」

「そうなんですね」

「明日帰るから、夕方とかどうかな」

「オッケーです。じゃあ、よろしくお願いしますね」

 多恵が当日に会いたいだなんて連絡してくるのは珍しい。何かあったのだろうか。考えていたら梓がシャワーから帰ってきた。そして、彼女は「風邪引くといけないから」と毛布を渡してくれた。

 初めて会った相手にもこんな風に優しくしてくれるのは、福岡の気質なのかな。そう思いながら僕は眠りについた。

 翌日、東京に戻った僕は約束の喫茶店で多恵と落ち合った。心なしか彼女の顔はいつもより白さが際立っているようだ。

 オーダーが揃って、店員がいなくなると多恵の口から言葉がこぼれ落ちる。

「彼氏と別れました」

「えっ!?」

 思わず僕は彼女の顔を見た。彼女は視線を宙に泳がせながら、まばたきもせず言葉を続ける。

「私、今の仕事にとってもやりがいを感じていて、結婚しても仕事を続けたいんです。でも、彼はそれが嫌みたいで」

 多恵の抑揚がない声が淡々と響く。

「仕事を辞める気がないなら別れるって言われたんです。でも、私仕事は辞めないって答えて。それからもう一ヶ月。彼から一度も連絡がないんです。もうダメなのかなって」

 '別れる'と宣告された上で一ヶ月も連絡が途絶えてしまっているならば、もう別れてしまったと言って良いだろう。だが、先回りし過ぎない。ここはまず同調だ。

「そっか、それはショックだよね」

「いや。私、全然大丈夫ですよ」

 そんな訳ないだろう。僕は心の中でつっこむ。言葉とはうらはらに、多恵は極力感情を感じないようにしているだけのようにしか見えない。

「そう、いつもと一緒。私が自分らしくあろうとしたら、みんな去っていっちゃうーー」

「僕は自然体の多恵ちゃんの方が魅力的だと思うけどね」

「そんなことを言ってくれるのはヒロさんだけですよ」

 そう答える多恵の顔に少し色が戻ってきた。よし。僕は心の中でガッツポーズをきめる。

 彼女は気丈な振りをしているけれども、現実をまだ受け入れることが出来ていない。今の彼女にはまず失恋の傷を癒す時間を与えた方が良さそうだ。

「あと、仕事で神戸に転勤しないかって言われているんです」

 なんだって。多恵が神戸に行ってしまう。僕は動揺を隠して、彼女の言葉にうなずく。

「将来につながる仕事ではあるんですが、かなり厳しい職場みたいで。友だちにも辞めたほうがいいんじゃないかって言われて。でも、私迷っているんです。ヒロさん、私どうしたら良いですか」

 どうしたら彼女を止められるだろうか。まず、それが頭をよぎった。

 でも、待てよ。それは僕の願望に過ぎない。多恵にとってどうするのが良いか。それを考えるべきだろう。冷静な自分を取り戻して考えた上で、僕は多恵に尋ねた。

「神戸の職場は厳しいって話だけれども、どう厳しいのかな」

「詳しくは聞いてないんですけど」

「じゃあ、まずはその“厳しい”っていうのがどういう“厳しい”なのか確認してみたら?」

 多恵はよくわからないと言いたげな顔で僕を見た。僕は彼女に伝わるであろう言葉を選びながら、続ける。

「だって、厳しいといっても、どんな厳しさかわからなかったら正確な判断はできないよね。多恵ちゃんにとってその“厳しい”は耐えられるものかもしれないじゃん」

「確かに」

「確認してみて、多恵ちゃんが対処できると思うなら挑戦してみてもいいんじゃないかな」

「わかりました。次の面談までに確認してみます」

 そう答える多恵の瞳は輝きを取り戻したような気がした。

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