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ナンパ師になりきれない男①

 伝説のナンパ師アレハンドロ・ハリマオ曰く。

「数を誇っているうちはまだまだ二流である。質を味わう段階に進むことで、愛の深遠を知ることになるだろう」

 心の中で尊敬する師匠の言葉を唱えてみる。果たして僕はその境地に何時たどり着けるだろうか。

 この三年間で僕が関係を持った女性は何人になるんだろう?数えるのをやめてしまったので、正確な数字はわからない。これまでモテなかったのがまるでウソのようだ。

 最初は一回、一回が奇跡のようだった。でも、数をこなしてわかるのは、どんな相手であってもたいした違いがないことだ。

 もちろん記憶に残るような経験がない訳じゃない。しかし、それはとても稀なことだ。実際には通り過ぎた相手が増えていくのに比例して、空しさも増えていく。

「いいじゃないか。減るもんじゃなし」

 エロオヤジの常套句だと思っていたその言葉が、今は自分の欲望にしか興味がない者の言葉だということがよくわかる。無駄に数だけを積み上げてみても、それは自分の心をすり減らすだけだ。

 とはいえ、恋人いない歴=年齢だった頃を思えば過大な不満ではあるが。

 思い返せば、僕は三十歳になるまで受身で生きてきた。自分のことを愛してくれる誰かを待ち、気になる相手がいても自分からアプローチする勇気など持ち合わせていない。

 当然ながら、恋人なんていたこともなかった。好きな相手がいても、遠くで相手を見つめる以上のことはできない。そうこうしているうちに相手は別の男と付き合いはじめてしまう。

 僕は真面目で優しい。見た目もそれほど悪くはないはず。職場立って世間的にみれば、きちんとした会社だ。家事だって一通りできる。それなのに何故、女の子たちは僕の魅力に気が付いてくれないのだろうか。

 そんな風に、モヤモヤした気持ちを抱えながら、同じ日々の繰り返しを続けていた。

 そんな僕が変われたのは、二十九歳になる年のことだ。

 その年の三月、僕は課長に呼び出された。会議室へ行くと、先に来ていた課長から席へつくよう促される。なんだろうか。僕は課長の言葉を待つ。

「山本くん、今度部署に新入社員が配属されるんだが面倒をみてくれないか」

「僕が、ですか?」

「ああ。君も中堅だ。それに、将来組織を引っ張っていってもらわないといけないからね。この機会に経験を積んでもらいたい」

「わかりました。ちなみに、どういう感じの人なんでしょうか」

「樋渡聖美くんといって、君の大学の後輩だ。相手は若い女性だが、君は人当たりも良い。うまくやれるだろう」

 課長はテーブルの上に履歴書を置く。僕はそれを手に取った。顔写真を見る限りはかわいいタイプだ。けれども、ここは職場。見た目がいくら良くても仕事ができなくては仕方ない。そもそも僕は職場恋愛などしないことをポリシーにしている。

 だから何もない。

 そう思っていた。

 五月の連休明けの朝、定例のミーティングで樋渡聖美の紹介があった。

「今日から配属された樋渡聖美です。これからよろしくお願いします」

 紺のスーツでナチュラルな化粧、新入社員らしく緊張した面持ちだが、彼女ははっきりとした声で挨拶をした。

 ミーティングの後、彼女は課長に連れられて僕のところに来た。

「樋渡くん、彼が君の指導者の山本裕志くんだ。わからないことがあれば、彼に相談するように」

「山本先輩、よろしくお願いします」

「こちらこそよろしく」

 樋渡聖美はあまり物覚えが良い方ではなかった。熱心に取り組むので教え甲斐はあったが、よく数字を間違える。結果として、めちゃくちゃな資料が出来上がり、いつも僕がフォローに入らざるを得なかった。遅い時間まで付き合うこともあり、僕は自然と長い時間を彼女と過ごした。

 その日も僕は聖美が担当している次の会議に使う資料作成を手伝い、夜遅くなった。

「これでいいですか」

 聖美は蚊が飛ぶような声で、僕に資料を手渡す。それを受け取り、僕はひとつひとつ内容を確認した。

「よし。これでいこう」

「やったぁ」

 時間はかかったが、それなりの出来だ。僕は時計を見る。もう午後九時か。僕は彼女へ何の気もなしに言った。

「今日はここまでにしよう。樋渡、よくがんばったな。ちょっとメシでも行くか」

 聖美はにこやかに答えた。

「山本先輩、ありがとうございます。そうですね。ごはん、行きましょう」

 職場の近くの居酒屋に入り、僕たちは料理を注文した。食事が出てくると職場での下っぱ時代の癖で、僕は聖美の分の食事を取り分ける。彼女は慌てて謝った。

「あっ、山本先輩すいません」

「気にすんなよ。習性みたいなもんだ」

「そんな風にさらっとおっしゃられると格好いいですね」

 聖美からの褒め言葉に気がよくなった僕はいつもより雄弁になった。何気ない雑談や仕事の話を夢中でしているうちに気が付いたら、もう午後十一時だ。もう解放してあげなくちゃ、彼女もかわいそうだろう。

「遅いし、そろそろ帰るか」

 聖美を見て、僕は思わず息を飲んだ。彼女の頬はほんのり染まっていて、上目遣いで僕を見ていた。その瞳が潤んでいるように見えるのは気のせいだろうか。

「そうですね。今日はお話できて楽しかったです。また誘ってくださいね」

 彼女が僕の手を握る。久しぶりに触れた女性の肌は熱を帯びている。

 もしかしてコイツ、僕のことが好きなのか?

 そんな考えがふと頭によぎって、鼻の下がのびた。

  その日からだ。僕は聖美と遅くまで仕事をした時は彼女をいつも食事に誘うようになった。

 そして、これまでは仕事のやりとりくらいしかしていなかったが、些細なことや日常の出来事でもメールを送るようになった。

 聖美も最初はその都度返事をくれていたが、そのうち返信がないことも増えてきた。

 彼女からの返信がない時には'何で返事がないのか'悩んだ。そして、その都度メールの文面を読み返し、'もし気に触るような部分があったならごめんね'と謝罪すらした。

 僕は返事があるかないかで一喜一憂し、仕事をしていてもどんなメッセージを送れば聖美の関心を引けるかばかりを考えるようになった。

 そんなある日。

 いつものように仕事が遅くなったので、僕は聖美を食事に誘った。彼女は森の中で熊にでも出会ったかのような目で僕の顔を見て、口を開く。

「山本先輩が私のことをどう感じていらっしゃるかわかりませんが、こんなにしょっちゅう誘われたら困ります」

「えっ?」

 戸惑っている僕を尻目にさらに彼女はハッキリこう続けた。

「それに私、最近彼氏ができたので。ただの先輩といっても、男性とふたりっきりでごはんに行くというのはちょっとーー」

 その言葉を聞いて、僕は陸に上がった魚になったような心地がした。助けを求めるように聖美の顔を見る。だが、彼女は目線をはっきりと逸らせた。

「そっか。わかったーー」

 突然の彼女の告白に僕の頭は真っ白になり、それ以上の言葉が出てこなかった。

 その後、聖美はその彼氏と早々に結婚を決めて退職してしまった。

 一方で、プライドをズタズタに壊された僕は、恋愛に関する講座に参加したり、本を読んだりするようになった。

「恋愛なんて自然にできるもの」

 そんな言葉は自分に当てはまらないことがわかったからだ。そして、何よりも彼女を見返してやりたかった。

 最初はなかなか自分を変えることが出来なかった。自分のことを棚に上げて、'女性に見る目がない'だなんて恨んだこともある。

 そんなある日、僕はひとつのウェブ記事を見つけた。

「モテないヤツは自分の'好き'しか頭にない。まずは相手を見ろ。正しい距離感が成功へ至る常道である」

 その言葉に衝撃を受けた。確かに、僕はこれまで自分のことしか考えてなかった。

 それがアレハンドロ・ハリマオ師匠との出会いだ。自身も浮き名を流しながら、つまらない遊び人はバッサリ切る矜持が格好いい。過去の記事を全てチェックして、すぐメルマガ会員になった。

  師匠の文章は学びが多かった。お陰で一時期は二日に一日は別の女性と予定があるところまで成長できた。何事にも大切なのは良い師匠だ。僕はその幸運に感謝している。

 今から当時を振り返ってみればわかる。新しい世界に入ったばかりの聖美が指導者の僕を頼り、気に入られようとするのは当たり前のことだ。

 だが、愚かにも僕はちょっとした好意の言葉から彼女が「僕のことが好きなのかも」と妄想を膨らませてしまった。

 本当に勘違いもはなはだしい。童貞丸出しだ。あの時のことを思い出すと今でも顔が赤くなってしまう。

 とはいえ、僕は聖美のことを恨んではいない。受身だった僕が変わるためには彼女との出会いは必要だった。現実を突きつけてくれたことに感謝している。

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