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現象学的に考えるとは?

よく人と話していて「現象学的に考えると〜」と言ってしまうことがある。

いちいち説明しているが、それがめんどうなので、一旦ここに書いておきたいと思う。

私がいう「現象学的に考える」とは、一言でいうと「客観とは主観において確信度の高いものである」ということ。

そもそもフッサールの現象学の意義は、認識問題の解決になる。
哲学は絶対なる知を求めて何千年も探求を続けてきた。何が正しい言説なのか、ということをずっと追い求めてきた。中世ではそれを宗教が物語で説明したから、収束がつかなくなり大いに揉めたわけだ。

よく、人は「◯◯が正しい」と言い切るが、
それは「私は◯◯という経験をしてきたから、それが正しいと思える」ということを、原理的に超えることはない。
つまり、突き詰めると、何かの判断(命題)が正しいという根拠は、主観における体験にある。そして、それは個人の主観であり、それを出ることはない、ということ。

人々は主観に閉じ込められているのだ。

詰めて考えていけば、私以外の人間に意識があるかはわからない。
そこから出発する。

その視点(私の主観)で、客観といわれるものの条件を問うのが現象学的アプローチである。

いろいろ説明が必要なところだが、省いて結論だけ言うと、
一般的に世の中で客観的といわれることは、誰もが自分の主観で検証可能な方法で確認されて、多くの人に認められているもの、ということになる。

平たくいうと、
どんな判断や命題も絶対的なもの!ということは原理的にできず、それらは多くの人によって確からしいと自信を持って信じられているだけである。

その前提で物事をいろいろ考えていくのが現象学的に考えるということ。

あまり例など出さずに結論ベースになってわかりづらいと思うのでまたアップデートします。。


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