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分かりそうで分からないコンテンツが面白いように、人も分かりそうで分からないくらいがよい

昔、ドワンゴの川上さんが著書で、面白いコンテンツとは何かを探求していた。結論は、分かりそうで分からないものということで、それは人間が新しいものを常に求める本質に因るみたいな内容であった。

さて、これは「人」についても言えることだと思った。とうか、どんな対象にでも言えること。というか、あらゆる対象の体験はコンテンツみたいなものだから当たり前なのだが。

少し話を変える。

人気ビジネスサラリーパーソンの田端氏が、YouTube動画で「接待の意義とは記憶に残こすためだ」ということを言っていた。つまり、これからの関係を展開していく上で、「あの人は◯◯な人だ」という風な理解を、実際の食事などの場を通じた経験からしっかりと定着させる、ということ。

大切なのは、記憶に残ることだから。食事中に腹を割って自分を理解してもらうのだ。

これはよくわかる。気を遣ってばかりで、当たり障りのないことばかり言っているやつは記憶に残らない。食事をしても何を話したか忘れてしまう。そうならないように、何かその場で、後でも思い出せるようなしっかりした思い出を作るのだ。

僕はこういう「思い出作ってこ」みたいな大学1年生みたいなノリが好きではなかったが、こういう説明をされると納得してしまった。

なんで好きではないかというと「狙ってやることは全てつまらない」というような考え方が根底にあるからだ。だから僕はこういう思い出になるような接待(ではなく食事でもいいが)はそこまで高確率で残せてないだろう。自然に振る舞い、主張することや深いことを話そうとしないで終わることもある。

さて、脱線したが、結論としていいたいのは、たしかに一回一回の食事や面談でしっかりと記憶に残る何かを作ろう!という「思い出作ってこ」という戦法は基本的にいいと思う。

しかし、やはり狙ってやることはわかりやすい反面でつまらない。分かりそうで分からない、がやはりいちばん面白いので、あまり計画的に狙いすぎてもよくない。僕は今後は少し気をつけつつも基本スタンスは変えないでいこう。


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