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境遇の良し悪しは中和される #中国 #富二代 #総合的な能力

中国だと、次のような人がけっこういる。仮に王さん、としよう。大学を卒業して日本円にして月10万から20万円くらいの普通の仕事をする。その間に親から1000万〜5000万円などを借りて、ノウハウも教わりうまく資産を形成し30歳くらいで3000万〜1億くらいの資産を作ってしまう。実家暮らしで、それを無難に運用していけば十分に生活ができる。

普通の日本人のメンタリティからすると「恵まれているなー」と思うとともになんか「ずるい」と思うようなこともあるだろう。私は20代のころこういう話を聞いたら、「自分の実力がないのに稼いで楽をして大したことない人」のように評価していた。ここで私がいう実力とは努力によって得られた能力や知識だ。多くの人もそれに近い考えを持つのではないか。

しかし、仕事をしたりいろいろな人と会う中で、もっと総合的に人を判断するようになった。

なんでそう思うにいたったかというと、仮に実力があったとしても一人では大きなことは何もできず、他人の力やお金などが必要になるからだ。その意味では、先の王さんでも一代で大企業を作り上げた起業家も同じだ。どちらも人にがっつりとサポートしてもらっているのだ。

私自身彼らの生き方を全く羨ましいと思わないが、働かず余裕な生活をすることが善、のような一方的な価値観を押し付けて来る場合はそうとう嫌気が差す。

お金持ちの家にうまれたり、世の中のことをよく知っている両親のもとに生まれたり、都市に生まれたり、田舎にうまれたり、子供の頃の境遇はほぼ所与のものといえる。

恵まれた境遇といったスタート地点の上げ底みたいなものは、見ていったらきりがないし、正確に把握できるものでもない。貧乏な家庭と言われていても、親が研究者で日々知的な刺激を受けたり、大人と密なコミュニケーションを受けていれば成長にはとてもプラスになる。

貧乏でこのような刺激がなくても、それはそれで強みになることおもある。例えば、借金を自分の過失なく背負った人は明らかに悲劇だが、それにより常人では取れないような大きな行動を起こせるかもしれない。華麗な経歴を持つ人では躊躇するような大胆な行動ができるかもしれない。

ここでのポイントは何か?

いずれにせよ、生まれた境遇が良いか悪いかについて人々はみな関心があるだろう。それを理解していればいい。相対的に接する人に対して、自分の事実としての境遇を以ってコミュニケーションすればいい。

先の王さんの例でいうと、30前後で一定の資産を築き投資の収益だけでのんびり生きていけるようになったとしても、そのような生活を当たり前として他人に押し付けてはいけない。

もちろんこういう生活ができていることはとてもよいことだが、それで一生懸命汗を流して働いている人を下にみたり、失礼な態度を取ることは慎むべきだ。(やっかいなのは、こういう人は自分と価値観が違ったり承認が得られないとすぐに関係を断つような人が多い)

中国では、意外にも他人に対しては嫉妬せず寛容だ。「富二代」という言葉があるように、親から資産を受け継いだり、お金に困らず好きなものを買ってもらえたり、教育もしっかり受けれるようなずば抜けて恵まれている存在がざらにいるからかもしれない。そういうのを僻んでもしょうがないというのは貧富の格差が目に見えて明らかな中国では浸透しているのかもしれない。

どんな人でも、この世でうまくやっていくには人に動いてもらう必要があり、さらには相手から信頼を得ることが重要。自分より恵まれた環境の人には嫉妬したり不公平感を感じるものだろうし、逆もしかりだ。相手の立場にたってコミュニケーションを取ることが重要だ。

境遇に恵まれない人は、相手を理解する力に長けるというチャンスが与えられている。これはポジティブで、そんな無理のない捉え方なのではないか。

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