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日本人の多くに血肉化している物語が、ドラゴンボールという悲劇。中国は三国志など古典

私に限らず、多くの同世代の人々は、ドラゴンボールの価値観が血肉化されているといっても過言ではないだろう。

例えば、次のようなことを無意識に想定している。

楽しむのが勝ち

オラわくわくすっぞ、みたいな悟空のノリ。
とりあえず、何事も楽しんでいるほうが強い。だからベジータに勝てた。
みたいな価値観。

たしかに楽しむことが重要なのでいい教えだが、無駄に楽しもうとしたり、そう演じているだけの人も多いのは弊害。

人間の強さは数字的に表せる

例えば、小さな零細企業で働いていれば、ラディッツに殺されたおっさんみたいなイメージを持つだろうし、中小企業なら戦闘型ナメック星人のネイルの42000くらいの戦闘力。
フリーザの53万は大手企業?
GAFAMは、ゴジータか?

でも、ある人の人生にとって、どういう仕事をしているか、収入はどれくらいかなんて、ほんの一つの側面に過ぎない。

怒りなど熱いものが結果を出す

怒ったり、熱中する、などそういうものが凄い結果を生み出すという世界観。

クリリンのことかー!と超サイヤ人になるシーンがあまりにも定着しすぎた。

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日本人の多くは、ドラゴンボールのある場面をビジネスや生活シーンにあてはめたり、例えたりできるだろう。でも、それは上述のような深みのないジャンプ的世界観。

一方、中国人の多くは(そうでもない人もいるが)、孫氏や論語、三国志などから人間の本質に迫る有益な教えを血肉化している。何か問題にぶつかれば、これらが指針を与えてくれる。

日本人なら、課題にぶつかれば、精神と時の部屋で頑張るとか、怒りを見つけるとか、へらへら楽しむ、ということになりがち。しらんけど。

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