第1印象を保つことが難しい時代
先日、ある動画で哲学者の東浩紀さんが人々が無思考になっていることを語っていた。SNSやインターネットが普及する前は、ある作品を観賞した後、自分で感じたものが何かしらの形で残り、それが維持され、それについて将来違う考えを持つ他人と語ることができる。
しかし、現在は、その作品に対する様々なレビューや意見、感想、広告が、とりわけ過激で支持を集めやすいようなものが目に入り、当初抱いていた感想が消されてしまう。さらには、影響力のあるメディアや人物から思ってもいない感想を植え付けられてしまうことすらある。こうなると、当初にその個人に生じた確固たる考えが根付かず、根を持たない考えがふわふわとその人に積み上がっていく。このようにして言葉の自動機械が誕生する。
つまり、現代は第1印象を保つことが難しい時代なのだ。それこそがその人の固有性であるのに、いつの間にか自分が最初に何を感じたかがわからなくなる。
これは何も作品に対してだけではない。政治、経済のニュースや市場の商品やサービス、あらゆる出来事や対象についての第1印象について当てはまる。グローバル資本主義社会において、考えさせるより、キャッチーな刺激を与えて動員するほうが簡単に利益を上げることができる。
東さんは第1印象に踏みとどまってほしい、と主張しているが、その理由については詳しくは語っていない。
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その理由について考えたい。
これは、人類の生存的な観点と個人の実存的なレベルの2つで検討できる。まず、人類レベルで言えば、第1印象という固有なものが社会にフィードバックされなくなると多様性が失われる。多様性が失われると、生存戦略的に、全体が一気に狂って破滅する可能性が高まる。
では、より重要な実存的なレベルで言えばどうか。私個人の考えでは、自分が社会の中に確固たるポジションを取ることが自我の安定に繋がると考えており、その上で、こうした第1印象の保持が決定的に重要だと思う。この人間観は心理学者の岸田秀さんのもので、人間は幸せや快楽を求めるというよりも、根本的に自我(自己物語)の安定が最優先なのだ。
第1印象に根ざしていない空虚な考え方で、自己物語が作られると安定せず、常に不安に駆り立てられてしまう。多くの人はこの不安を埋め合わせるためにSNSなどで手頃に承認を得て自我を安定させようとするが、それも空虚なもの。
だからといって第1印象に食らいついて社会となかなか折り合いがつかないとそれはそれで疲弊してしまう。いつの時代もほどよく中庸がいいのだろう。
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