よい語学教育者の3条件とは?〜語学における<ネイティブ>と<非ネイティブ>の教師の目指すべき方向性〜
良い語学教育者とは?
まず、いい語学教育者の定義をしたい。それをしないと評価できないからだ。
いい教育者とは、①その人が理想と思う状態に、①確度高く導ける能力があるといえる。
まず、理想状態をある程度イメージ化していることが必要だ。よくわからないけどなんとなくいい状態というのは教育ではない。
もちろん本当に凄い教育者ではれば、自分も想像もつかない天才を育てるかもしれないが、それはもう狙って行う教育とはいえない。
次の条件は、「確度高く」だ。それは、一人を人生をかけて育てるのではなく、何十、何百人と同じような成果を出せる能力があること。
条件1:目標の状態を自覚している
では、この良い語学教育者の条件は何か?
まず第一に、学習者をどのような状態に持っていくかということに一定の具体的イメージを持っていることだ。
これがなければ、ただのいきあたりばったりのアドバイザーになってしまう。(ただ、そういうアドバイザーのほうが、結果的により凄いアウトプットを出す可能性はある)
どういう状態が良いかわかっていない状態で、ただただ、数や実績があるだけでは意味がない。(ただの実績自慢の先生は社会的に望ましくない)
語学でいえば、こういう状態なら良い、ということを一定のイメージとしてもっていることが最初の条件。
条件2:そのために何が必要か経験的に確信がある
次に、その理想状態があったとして、そこに到るまでの何をすればいいのかを一定の経験に基づき確信があることが必要となる。
理想状態がわかっても、どうやってそこまでもっていくか、机上の空論では意味がない。実際に、育てた経験から、「こういうアプローチが効く」ということをある程度確信していないとだめだ。
人間の成長は、無数の変数による結果だから、あまり確かなことはいえないが、いえる部分もなくはないと思う。
何十人、何百人と教える経験を持ち、どうすれば、その状態にもっていけるかについて理解していることが条件だ。
条件3:必要なことを実行できる能力がある
最後の条件は、それを実行できることだ。
多くの教育の場合、「継続させること」が鍵となるだろう。
長くやらないと何事も成果はでない。
そして何かを続けるためには精神的なことが重要だ。
北風と太陽のように、太陽的に内なる心から行動させて理想状態までたどり着けるようにする。
これを促せる能力があることが最後の条件だ。
語学における<ネイティブ>と<非ネイティブ>の教師の目指すべき方向性
こう考えると、語学において良い先生とは、ネイティブでも非ネイティブでもどっちでもいいことがわかる。
ただ、ネイティブの場合、理想的な状態をイメージしやすいだろう。また、ノンネイティブ(同じ母語)の場合は、共通言語があるので、学習者の行動を解釈したり、継続させるための施策は取りやすいだろう。
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