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松本人志の笑いがアメリカのコメディより上という考え方

自分は、哲学をやっていたしそもそも論が好きなので、何かを絶対的に主張している人を見ると、違う観点を提示したくなってしまう。

先日、脳科学者の茂木健一郎さんがダウンタウン松本人志の笑いは「弱いものいじめだ、本来のお笑いは弱いものが強いものをつっつくためのもの」というような趣旨の話をしていた。

でも、松本人志は弱いものいじめなんてしているか?

私はそうは思わない。
むしろ、強いものいじりをしている、というような印象だ。
松本人志がいじる人はだいたいみんな芸能人とかスポーツ選手とか経営者とかタレント(才能)豊かな人達ばかりだ。

いわゆる障害を持っているとか、年収が低い貧しい人とかの弱者と言われるひとをいじっているのを見たことはない。

むしろ、強いものをいじっていると考えれば、茂木健一郎さんがいうところのお笑いの定義にばっちり当てはまる。

茂木さんのいうコメディとは、自由の思想がベースにあり、権力者を牽制するための機能が重要視されている。

抽象度を変えれば、松本人志自体がかなりの弱者ともいえるかもしれない。というのも、お笑いという一般的な産業、経済的なスキルを持っていないからだ。茂木健一郎さんのように学芸大学高校から東大にいって研究者になってのような資本主義の王道で培われたアセットはない弱者である。

そういう人が、ちょっと人の仕草とか人間関係とかをいじるというのはある種、誰にでも開かれたいじりであるともいえる。

松本人志の笑いは、権力をいじるコメディとか気取っている人々へのいじりである、とも言える。人はみんな動物であり、だめな存在である。真面目に優等生ぶることも大事だけど、その前の前提を意識させてくれるともいえる。

やや強引だが、1つの観点として、考えてみた。

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