見出し画像

『ディープラーニング 学習する機械 ヤン・ルカン、人工知能を語る 』を読んで

『ディープラーニング 学習する機械 ヤン・ルカン、人工知能を語る 』(KS科学一般書)を読んだ。

本書の紹介文をAmazonのページから引用する。

フランスで10万部発行! 2018年度チューリング賞受賞、ヤン・ルカン氏(Facebook副社長)の「ベストセラー」がいち早く日本上陸!AIとその中核をなす「ディープラーニング」の過去と現在、そして未来像とは?ディープラーニングの父であるヤン・ルカン氏がエキサイティングに綴る。

著書のヤン・ルカンのプロフィール。

ニューヨーク大学教授およびFacebook副社長。1960年フランス生まれ。1987年パリ第6大学にて計算機科学のPhDを取得。AT&Tベル研究所、AT&T研究所などを経て、2003年からニューヨーク大学教授。2013年には兼業でFacebookに入社し、Facebook人工知能研究所を創設。機械学習、コンピュータビジョン、計算論的神経科学などに関心を持つ。2018年に、コンピュータ科学分野における最高の栄誉とされるACMチューリング賞を、ジェフリー・ヒントン、ヨシュア・ベンジオとともに受賞。

私は、本書の訳者である東大の松尾先生の著書『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』を、Kindle版と紙版の2冊を持っているほど読み込んでいた。

一見、本書もAIの歴史説明と、技術的な解説、著者の見解という形で、松尾本にかなり近い構成になっている。

しかし、ディープラーニングの第一人者であるヤン・ルカン(フランス人)による本書は、さらに米国を中心にしたグローバルな視点で書かれている。松尾本で書かれている客観的なAIの歴史が、第一人称で、その中にいる著者がリアルに綴っているのが、読み応えがある。

また、著者のディープラーニングについての今後の展望なども松尾先生と異なる部分もあるので読み応えがある。

本書を読んで思ったことを何点か書いてみたい。

アメリカの研究界の熾烈な競争環境

アメリカでは、GAFAMなど最近のITジャイアントだけでなく、AT&T、ベル、IBMなど歴史ある企業も含め、数百人規模の研究所が競争している。

私は門外漢だが、このような環境に、日本が全然ついていけてないような気がした。ここで描かれていることが、日本で行われているイメージがわかない。(もちろん、NEC研究所の話が出てきたり、福島邦彦さんの功績などは凄い)

アメリカでは、研究所と企業が産学連携で、世の中をどんどん先に進めていく。多額の資金と研究データを持つGAFAなどが、長期的な展望で基礎技術を開発する研究所とが一体となり、その中で最高級の人材が流動的に動いている。

また、研究者も研究ばかりやればいいわけではなく、研究といっても軍事や企業などとプロジェクトをして資金を自ら引っ張っていき、対価を決め、契約ベースで進め、実績を積み重ねていく。

YAHOOの安宅さんの『シンニホン』でも書かれていたが、日本にはそもそもFacebookやInstagramなどが持っているようなデータが圧倒的に少ないし、こういった工学やITの人材の圧倒的に足りていない。

アメリカでは、日本とは、研究の目的や目標が異なり、マインドが全く異なるといえるだろう。

研究の競争を促し、それを企業活動に結びつけて社会に還元するような流れは、日本はだいぶ遅れていることがわかる(ヤン氏にいると、フランスも人材流出や低収入で問題意識を持ているようだ)

複雑なものを作るには、学習能力を備えたシステムが必要

著者の以下の「確信」は、2010年代のブレークスルーを生み出した。

「2010年ごろ、「古典的」機械学習の支持者たちは、ニューラルネットワークに対する嘲笑をやめた。その有効性がようやく明らかになったからだ。私は一度も疑わなかった。人間の知能はあまりに複雑なので、模倣するには、経験によって自ら学習する能力を備えた自己組織化システムを構築する必要がある、とずっと確信していた。」

素人目線でも、複雑な仕組みを人間がプログラミングをして作るのには限界があるとわかる。

そうではなく、学習する能力をもたせることで、学習素材をもとにどんどん概念を獲得し、複雑な概念や思考が可能になる。

ディープラーニングは、生物の脳や視覚の研究でヒントを得て発展しているようだ。

複雑な大人を作るのではなく、学ぶ子どもを作る。

「大人の心を模倣するプログラムを作ろうとするのではなく、子どもの心を模倣するプログラムを作ってみてはどうだろう。このプログラムに適切な教育を施せば、大人の脳が手に入るはずだ」

 ロボット三原則

AIの議論になると、よくロボット三原則が出てくる。

私はこの三原則は、言語の原理的な限界により、ロボットにインプットすることが不可能だと考えていた。

この部分についてヤン・ルカン氏も次のように解説しており、納得できた。

危険、服従、幸福といった抽象的な概念を学習していないかぎり、ロボットにこの三原則を植えつけることはできない。

今はまだ、猫の画像レベルの視覚的な認識しかできていない。

まずは、目だけでなく、耳、鼻、口などを保つ必要があり、さらには身体がなくてはいけない。そのうえで、何かしらの生命的な方向を持ち、世界で経験を積むことで、人間が持つあらゆる概念のシニフィエを獲得することができる。

文系学問って何なんだろう

私は大学院で哲学を専攻し、社会学、文学などの授業にも参加していたが、そういう文系学問ってなんなんだろう、と考えさせられた。

社会に何か商品やサービスを生み出す理系的な学問と比べると、その専門性もそもそも曖昧だし、何を創造しているのかわかりにくい。

もちろん、文化を生み出すというが、それは別に大学という研究機関でやる必要があるのだろか。500万円くらいの収入で安定していると満足しているような教員たちが、何のためになるかよくわからない研究を、大学のような高度な学術機関でやる意義は何なのだろうか。

もちろん、それを研究する人たちがいる事実があれば、存在して然るべきだが、社会的な位置づけに疑問を持ってしまう。

**

技術的な解説は、自分にとってはかなり難しく一部読み飛ばしてしまったが、人間がいろいろなパラメーターを調整しなくてはいけなく、経験による直感のようなものがまだまだ必要な感じが見て取れた。

松尾先生本で書かれているような今後の発展計画がスムーズに進むのはかなり難しいのではないか。時間があったら改めて読んでみたいと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?