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中国映画は人間や社会の問題提起をどれだけできるのか?中国のソフトパワーの可能性

GWから定期的にハリウッド映画をよく観ている。

最近観たのを挙げると以下。

アルゴ
キャプテン・フィリップス
ノーカントリー
アメリカン・ビューティー
ジョー・ブラックをよろしく
グッド・ウィル・ハンティング
マネーボール
フォレスト・ガンプ
アメリカンサイコ
キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン

映画ってやっぱり2時間なりで色々なことを考えさせてくれるから、充実感を与えてくれてとてもいい。そして、人と話すとき映画の感想をいうことで相手の価値観がわかるし、それを語る自分でも新たな気付きが芽生える。

映画を観るとやはり、欧米、特にアメリカによいイメージを抱いてしまう。

上に挙げたものでいえば、ドキュメンタリーはハラハラ・ドキドキ面白いもので世界を知るという実益的なものだが、その他の多くは「人間とは」「よい生とは」「人間社会の問題」のような人間の根本的なところに疑問を投げかけるものだ。

ジョー・ブラックは、死ぬことが分かったときの心境の変化や悔いのない生き方を考えさせられるし、グッド・ウィル・ハンティングは経験とタイミングの重要性を、良い人間関係とは何かを考えさせられる。アメリカンサイコは人々の無関心さを提起している。

ふと思ったのは、
中国はこれができるか?ということ。

アメリカンサイコのような作品は暴力・エロなどに引っかかり放映できないし、ジョー・ブラックやグッド・ウィル・ハンティングのような生き方を問う場合、どうしても社会体制が目に入ってしまう。

こうした理念的なこと、人間の本質に迫ることを題材にしづらい。私が観た中国映画はかなり限られているが思いつくものでも、これくらい深いテーマを扱っているものはない。

ヒット作のほとんどが歴史もの、戦ものが多いイメージだ。三国志や水滸伝に象徴されるようないわゆる(事実に根ざしているとしても)物語が多く、表現者が何かを問いかけたり痛いところに目をむかせるような作品は少ないだろう。(もちろん、歴史ものは人間の本質を表現することはできるが)

こうした映画を中心にした価値観や世界観の表現は、世界が中国を見る目に大きな影響がある。今後中国はソフトパワーでも世界を惹き付けることできるのだろうか。(歴史、食等の文化のソフトパワーが強いが表現の自由という観点で)

戦後のアメリカ追従社会で育った世代からすると、このような中国の作品をあまり評価しないだろう、と思う反面、敗戦後に180度考え方を変えた日本人なら派手な中国の演出でころっと変わってしまうのかなとも思った。今のところ自分はまだ欧米の理念に惹かれる。

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