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語学における「文法」ができるとは何か?#英語 #中国語

まず、結論から言うと、

「文法を完全マスターしたというレベル」とは、ある「文」について、「おかしい」とか「自然だ」という判断ができることだ。

それは、何かに照らし合わせて判断するのではなく、「自分の感覚で絶対的な自信を持って判断できる」というのを最終根拠として、である。

なぜなら、ネイティブがそうだからだ。

むしろ、これができることが、ネイティブの条件といってもよいだろう。

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余談だが、内田樹さんがネイティブの定義について、興味深いことを言っていた。

ある言語のネイティブとは、あたらしい語を創造できること、また、それを初めて聞いてもその意味が明確に理解できること、だと。

例えば、「真逆」という単語。これは比較的最近に作られた言葉のようだが、これを初めて創造した人も、初めて聞いた人も、はっきりとそれが意図していることがわかる。これがネイティブなのである。

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われわれが外国語学習で使う文法書も、もとを言えば、ネイティブの「おかしい」とか「自然だ」という【感覚】をベースに作られている。

「わかりづらい」「気持ち悪い」「おかしい」という感覚をベースに、問題ない文を選んでいき、それを「正しい」ということにして、そこに共通する法則を見出すのが文法の研究だ。

よく語学で成果がでない人や、頭の固い人は、このような背景を(明示的にはないにせよ)理解していない。

各言語には文法マニュアルのものがあって、このアルゴリズムに単語を乗せて意味のある文を作る、というように考える。

言語で文法ルールを全て明記できると想定している。つまり、何か正しい文法マニュアルという「実体」があると思っている。

実際はそうではない。

まず、言語行為が先にある。ソシュールの語でいうと、パロールがラングに先立つ。

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では、どうやったらこういう境地に立てるか?

それは、「自然な文」に沢山触れるしかない。

映像でもいいし、音声でもいいし、文字でもいい。

ただ、それがどういう言語行為(どういう意図を伝えるか)かを理解できるものをインプットしないと意味がない。

一番大量にインプットできるのは、読書だろう。

ただ、もちろん、黙読するだけでなら読解の能力しか上がらない。発音も意識して音読すれば、聴解や発話にも効果があるだろう。

赤ん坊はまさにこういうアプローチで、言語を獲得していると想定される。

もちろん、大人の外国語学習において、子供が言語獲得するようにいきなり例文をインプットしまくっても効率が悪い。

なぜなら、既に母国語という言語体系を身に着けてしまっているので、それを通じて、外国語を経験してしまうからだ。(ある脳科学者は、母国語モードをオフにして、外国語のシャワーを浴びればいいといっていた。たしかに合理的だが、どうやってオフにするのか?)

既にある言語を身につけた大人が外国語を学ぶには、一定の文法をまずは頭で理解(理論)して、読解や作文時に、一度プランニング段階を経て慣れていくのが効率的だ。

この意味で、文法書に書かれた理論を一定理解するのは重要だとわかる。

しかし、その際にには言語の本質を理解しておこう。つまり、実際の使用に沢山触れることが言語を身につける上で、本質的だということ。


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