承認欲求は必要だが、限度が必要な理由
承認欲求を満たすことは、なんとくなる悪いこと、しょぼいやつ、みたいな見方がある。
私もそう思うが、
承認欲求は人間にとって必要だ。
なぜなら、人間は生物として、この世界、社会で自己保存しなくてはならない。もっといえば、遺伝子を残したい。
その際、自分の「力」をできるだけ強めたいと思うのは当然。動物と同じ。
人間は社会的な動物だから、社会でのポジションや地位という抽象的な対象が「力」のスケールとなる。
であれば、社会的に、より多くの人に「あの人はすごい」と心から思われたい、と思うのは本質的な欲望である。
だから、仏教のようにこうしたベクトルを根絶やしにしよう、と思うのは間違いだ。
ではどうすべきか?
それを考える上で重要なのは、なぜ承認欲求を追求することが悪になるのか?を知ること。
別に人に迷惑をかけなければ承認欲求を増大させ続ければいいのでは?と思う。
そう、
この、「人に迷惑をかけなければ」というのが最も重要ポイントなのである。
私は承認欲求を増大させたいが、
他人も自分と同じように承認欲求を増大させたいのだ。
これを心の底から理解する必要がある。
つまり、理念は「自由の相互承認」である。
他者の自由を尊重した上で、自分の自由を追求する。
この大前提を理解しないといけない。
むしろ、このぶつかり合う承認欲求の衝突のカオスを乗り切れば、つまり、他者の自由を尊重しつつ自分の自由を押し通すことができれば、そこには最高の達成感があるのかもしれない。
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