なぜ中田のあっちゃんを見ようと思わないのか?
中田敦彦さんの松本人志さんへのメッセージYou Tubeが、ツイッターなどで話題になっている。
この中田さんの提言について、私はあまり興味がない。
どちらかというと、より透明性高くオープンな社会を目指そうと積極的に動く中田さんを支持する。(松本さんは、そういうベクトルをそもそも持っていないので)
ただ、この二人のどっちに関心があって、今後もその言動を見たいかと言われれば、圧倒的に松本人志さんだ。
個人的に、小学校の頃から松本さんの大ファンで、ごっつ、放送室、ビジュアルバム、映画、書籍などほぼカバーしてみていた。
この二人への関心の違いはどこから生まれるのだろうか?
往々にして、社会で活躍する人は「自分の頭で考える」系の人だ。
このお二人もそう。
世の中の流れに流されたり、周りの目を気にして自分の行動を決めるようなことはしない。
私自身、中田さんのYou Tubeはよく見る。しかし、それは中田さんを見ているというよりは、歴史の知識を学ぶとか、本の要約を知るとか、そっちがメイン目的な感じがある。
この両者の違いは何か?
自分なりに考えてみたが、それは、積極的な動機があるか否かなのかもしれない。
中田さんの場合、何か目立つことをしたいとか、承認されたいみたいなベクトルがあり、それが、シンガポール移住とか、既得権益への挑戦とかに消化されているのではないか?
自分の優秀な力を活かせる領域を、常に社会を見ながら探しているような感じ。これは、積極的ではなく、消極的な動機。消極的であるが、それは力強いから、中田さんは成功していると思う。
一方の松本さんは、いろいろな動機はあれど、やはり、自分が笑うこと、人を笑わせることが最善というような軸がある。そのために、様々な活動をやっていて、それが実現できれば、別に表面的なメディアとか、見え方はあまり気にしないのではないか。
これはメディアで私が見ていて形成されたブランドなのかもしれないが、すくなくとも、お笑いに一途で、職人的な強い積極的な想いを感じさせる。もちろん、その裏に承認欲求や人間の欲望的なものがあるのは言うまでもない。
「自分の頭で考える」人は世の中に多くいるが、本当に強い軸がある人は限られているだろう。(別に軸があることがいいことというわけではない)
松本人志さんとか、ホリエモンとか、茂木健一郎さんとか、そういうものがある(気がする)。たぶん、最終判断を人の目を気にせず(あるいは気にした上で)自分が決定している感じがある。実際、それは程度問題なのだが、少なくとも演出上は、そのように見えることは魅力だと思う。
こういう風に、この人が出てきたら、とりあえず見てみたいな、と思わせる人って数える程度しかいない気がする。(メディアに出ている人では)
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