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コロナ収束についての見通しを得る。「集団免疫戦略」なのか、「ワクチン待ち戦略」なのか?長期的には「withコロナ」?

「人との接触を8割減らせ」「ロックダウン」「三密を避けろ」などいろいろなこと対策らしきものが言われているが、結局目標は何なのだろうか。

もちろん、「コロナ収束」が目標なのはわかるがどうやったらそれが可能という見通しなのか?或いは、その見通しが立たないからとりあえず感染を増やさないための時間稼ぎなのか?

これについて、日本はどうやら公に発表はしていないようだが、ドイツやイギリスはその見通しを明確に発表している。以下、よくまとまっていた2つの良記事を参考に整理する。

まず、ゴールを確認すべきだ。

ゴールは、感染を止めることだ。その方法は以下3つ。

1.感染者を全て発見し、隔離すること→しかし、世界中に広がってしまった新型コロナには、この方法はもはや使えない。(人の動きを止めることで収束に近づいている中国も、規制を解除すれば再び感染が増加する可能性が高い。)
2.ワクチン接種により全員が免疫を得る→しかし、ワクチンは開発中で、1~2年後には実用化すると考えられるが、それまではワクチンなしで事態を乗り切る必要あり
3.集団免疫:新型コロナウイルスについては、60~80%の人が感染して免疫を獲得すれば、それ以上の感染はなくなると考えられている。逆に言えば、現在の状況では、国民の60~80%が感染する可能性があり、そうなったときに感染が終わる

1はダメで2は時間がかかるとなると、3の「集団免疫戦略」の方向で頑張るしかない。

つまり、

今後は感染の急速な拡大による医療崩壊が起こらないように注意しながら、集団免疫を獲得する

ということになる。

そんなことをしたら死亡者が増える?

集団免疫戦略なら、感染者(そして死亡者)が増えるのは致し方ない。重症者の治療法を早期確立して死亡者を低く抑えることに努力する。

感染の速度に関わらず、感染者が国民の最低60%にならないと新型コロナ問題は終わらないのだ。重症者の治療法を早期に確立して、死亡率を低下させることが最重要の課題

極力抑え込み、ワクチンを待ちという戦略はどうか?

もちろん、今後、ワクチンが開発されれば、集団免疫を得るまでの時間は短縮されるだろう。それまでは感染者の増加を極力抑えて持ちこたえようという意見もある。どの意見を採用するのかを考えるときに大事なことは、「リスク最適化」である。
リスク最適化:感染者の増加を緩やかにするメリットと、それを実現するための対策によってどれだけの個人的・社会的・経済的な被害が出るのかを勘案して、リスクの総計を最も小さくする対策をとることである。いわば「感染による損害」と「感染対策による損害」のバランス設計だ。

ということだ。

これでコロナ収束の見通しを考える枠組みはわかった。冒頭の「接触を8割減らす」というのは、集団免疫を緩やかに実現しようとしているのか或いは、ワクチン待ちのどちらかだろう。この辺りについては政府はどのように考えているのだろうか。

この辺りは、ヤフーCSOでシンニホンの著者の安宅さんが詳しく解説している。

まず、集団免疫は現実的でない、と。50%免疫獲得に約30年かかってしまうという。

ご存じの方もいらっしゃると思うが、コロナを含む感染症のための病床数は日本全体で4,000あまりだ*8。一度入院したら2週間はいなければならないとすると、年間52週で26回転、4,180 x 26 = 108,680 = 約11万人の治療が可能ということになる。入院が必要な重症化率が世界平均同様に5%だとするとこの国が現在対応できる感染者数は年間で11x100/5= 11x20 =220万人に過ぎない。これでは「もしキャパを溢れさせないとするならば」50年以上(57年+)の時間がないと今の人口(12,600万人)全員に免疫ができることはない。50%を目指すとしても29年だ。普通の経済的な感覚ではほぼ無限に続くことになる*9。

さらにワクチンも全世界へ普及するには楽観的シナリオでも1−2年とのことだ。

安宅さんの結論はこうだ。

したがって、我々は当面、(感染爆発を極力抑止し、ワクチン開発とその展開に最善を尽くす前提で)この疫病と共存的に生きていくしかないというのが現実的なシナリオと言える。僕らは再び、70-80年前に戻ったのであり、ある種の慎重さと生命力が何よりも問われる時代に舞い戻ったということができる。

さらに地球温暖化により似たようなパンデミックが今後も度々発生しうることを指摘し、こう述べる。

つまり僕らはパンデミックのタネの一連(series of pandemic seeds)にさらされ続ける可能性がそれなりにあり、そうすると今の新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)が去ってもなにか新しい伝染病との戦いが色々と続く可能性があることを心づもりしておくべきだということになる。これがWithコロナ(SARS-CoV-2に限らず)時代を生きることになる、とその時、僕が即座に発言した背景だ。

こうして、安宅さんは開放x疎で「開疎化」という未来を描いている。

これは広々した空間が空きで、人混み嫌いで無駄なコミュニケーションはあまりしたくない自分にとって魅力的だ。

つまり、今回のコロナではコロナというパンデミックの話ではなくもっと根本的な社会のあり方が問われているのだ。長期的な視点で考えていきたい。

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