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【#今こんな気分】明日は十六日

明日月曜は、今年3回目の正月祝いである。

宮古島では、旧暦1月16日をあの世の正月と言って大きくお祝いする。
普通の、紅白歌合戦の翌日の正月はカレンダー通りに動いている人々や冬休みの子供たちが集うので祝い、旧暦1月1日の旧正月は漁師まちでは盛り上がり、旧暦1月16日のあの世の正月は島を挙げてのお祝いになる。
この時期になると「じゅうろくにち」と言えば旧暦の十六日祭のことに決まっている。島中のスーパーマーケットや菓子店でスーパーセールが繰り広げられる。チラシには「十六日祭!!!」と刷られている。
学校も半日で終わり。スーパーやコンビニ以外のいろんなお店が午前中で閉まる。午後はみんなで本家に集まってわいわいやるのだ。

そしてなぜか知らないが、夫の実家の地域では前日15日からお供えがスタートする。
今年は旧1月16日は2月6日で、前日旧1月15日は本日2月5日である。
もう書いていてもこんがらがってくるが、本日のお供えのために昨日2月4日土曜は、夫が義姉さんたちに言づけられた買い物リストを携えて、お買い物に出かけた。

本土から嫁いだ私も、始めは餅づくりやらお供え料理やら台所仕事を張り切って手伝っていた。
お義母さんが生きいたときは、餅づくりやお供え料理を教えてもらって手伝った。この地域独特のものでとても面白く興味深かったので、苦にはならなかった。

これはたぶん2度目の十六日のお供えだったかと思う
お仏壇の前にお供えするのだが、毎回どこにどの料理をどれくらい並べるのか
わからなくなるので、写真を撮っておいたのだ
でも・・・旧盆だったかもしれない、せっかく撮ったが役に立っていない写真


お義母さんが無くなって、おじい(義父)が一人で準備をするようになってからは、朝から晩までできるだけ手伝いに行くようにした。
手間のかかる餅の手作りをすることはなくなったが(外ででかいシンメー鍋で蒸す餅は抜群においしいのだが!)、食紅でドピンクのご飯を一升+白い普通のご飯を一升炊いて丸いおにぎりをにぎったり、数キロの豚のバラ肉の皮を切り取り下茹でをして厚めに切ったり、数本の大根やニンジンを切ったり、またまた食紅でドピンクに染めたゆで卵とセーイカをギザギザに飾り切りしたり、おじいはあんまりあれやれこれやれという人ではなかったので、見ながら考えながら手伝った。
食紅が足りなくて急坂を登ってスーパーに買いに行って帰ってきたかと思えば、今度は肉が足りない、てんぷらの油が足りない、ビールが足りない、とその都度急坂を登り、そして下り、でも、そんなこともとても楽しかった。

お料理の準備が進むにつれ、どんどん人が増えていって、広いとは言えないおじいのおうちには人があふれた。
これは本当に、文字通り、あふれる。
家の中は、足の踏み場もないほどの大人、子供、おじい・おばあ、赤ちゃん0歳1歳2歳…、嫁、婿、親戚、近所の人、誰かの友達、誰かの彼氏や彼女、誰か知らんけどいつも来る人などなど・・・
テレビの方で男性陣が飲んでいて、女性陣は台所で鍋をかき回したり、皿を洗ったり、その間でお供えとつまみの刺身用に魚をさばいているおじさんがいて、その横で座る場所がなくて立っておしゃべりしているおばさんたちがいて、大人にビールを取りに来させられた子供が冷蔵庫を開けて探していて、仏壇の部屋で座っているおばあたちはその年生まれたばかりの赤ちゃんを抱っこしてあやしているし、子供たちはピンクのおにぎりを食べていたかと思えば鬼ごっこが始まって家じゅうを走り回り、それを大人が大声で怒っていたかと思えば、いつも大人気の夫の周りには子供たちが群がって「おじさん高い高いやって~」とせがまれている。
私はしばらく配膳やら子供の相手やらおばさんたちとのおしゃべりやらしているが、結局いつも圧倒されて、外に逃げ出す。
そこでは同じような人たちがビール箱に座って煙草を吸いながらのんびりおしゃべりしたり、子供たちが外でも鬼ごっこをしている。
さっきまでおじいの膝でグルクンにかじりついていた娘は、いつの間にかほかの子供と野良猫探しに隣のおうちの敷地に入っていった。

私はちょっと離れてそんな光景を見ているのが好きだ。
この幸せな家族の一員になれてとてもうれしい。
夫がなぜこんな素敵な人なのか、この人たちを見ているとよくわかる。
みんなとても温かく愛のある人たちである。

ただ、私は今はなかなかこの行事に行けない。
大好きなのは変わらないのだが、気持ちが向かないのだ。
自分でもなんでだろ~と思うのだが、この集まりに限らず、人ごみに入っていくのがとてもとても苦痛なのだ。
もともとあんまり人が多いのが好きではないし、一人でいても寂しいという感覚があまりないのだが、ここ数年拍車がかかっている感じがする。
たぶん、更年期だからじゃないかな、と思っている。
じゃあ、まあ、しょうがない。
ホルモンとか自律神経とかには勝てない。

というわけで、前置きが長くなったが、
私にとって、買い出しというのはよい役割で、自分のペースで空いてる時間に買い物をして、みんなが集まる前にそれを本家に届けることで、私も苦しくなく、少しは役に立つことができる。
まだ誰もいないおじいの家にそれを届け、「おじい、おばあ、明日は正月だね」などとブツブツ言いながらお仏壇にお線香を立てる。
明日にはみんなここに集まり、またにぎやかに楽しむのだろう。
人ごみが苦しいけど、この家族の集まりが好きな私には、この、一人静かにおじいの家で、にぎやかな様子を想像して過ごす時間が、なんだかよい時間だ。

本当は私も、もっとみんなの役に立ちたいし、この愛のある家族の集まりの一部でいたい。
だから、いずれまた、このにぎやかさの中で苦しまずにいられる時が来るとうれしい、と思っている。
明日は、どうだろうか。少しは居心地よくいられるだろうか。


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