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【#子供の成長記録】娘を保育園に入れたときのこと

夫と娘と離れて過ごす新春。
時間がたっぷりあって、めちゃくちゃゆったりと過ごしている。
そしてやっとまた、note書こっかな、と思った。
今遠くにいてもうすぐまた会える娘のこと。
娘を保育園に預けたときのこと。
これはいつか、書いてみたいと思っていた。

娘は、出産予定日まで2か月というときに私の体内から産み出された。
母子ともに危ないといわれて、定期検診がそのまま出産日になった。
生まれてすぐ保育器に入り、1~2か月は病院にいた。
だから、私は帝王切開の後数日入院して、退院して、赤ちゃんはいないアパートの部屋に戻り、夫とともに娘に会うために病院に通った。

そして娘は、もともとの出産予定日近くになって、ようやく退院できた。
これからはいつも娘がお家にいて、もう病院に通う面倒が無くなったことも私はうれしかった。
娘は夜泣きもなくて、一人でもよく遊び、超低体重児だったのがどんどんまーるく太っていって、かわいかった。たまに泣いてもかわいかった。

そして、私の社会人人生始まって以来初めての、無職。
子供と一緒にいるための堂々とした無職。これも楽しかった。
夫はまだ漁師ではなくて、土木の日雇いだったから、稼ぎがたくさんあるわけではなかった。だから節約しないといけない。
でも私はもともと自分が不安定な職ばっかりついていたし、節約は嫌いではなかった。現金なしでどれだけ暮らせるかとか、前にも面白い挑戦をやったことがあったから。

まあそんないろんな理由で、1年間はこの赤ちゃんと一緒にお家で過ごしたいな~と考えていて、夫もOKだったので、楽しく日々を過ごしていた。

でも、心配なことはあった。
私が、子育てのド素人だということだった。

行事で親戚に会うたびに、誰かが赤ちゃんを新しく産んでいて、本家に命名札が分厚く画鋲で留められていく。
前に会った新生児はもうハイハイしていて、じゃあ生まれたてのこの子は誰?この子は○○の三女だよ、名前は何だっけね、という会話が飛び交っている。
とにかく子供がいっぱいいる状況だった。
そしてその新生児は長女お姉ちゃんがおむつを替え、ミルクをのませ、「お母さん、泣いてるからちょっと外に連れてくね」などとお世話をしている。そのお母さんは、ほかの子供たちにご飯を食べさせている。
みんな手際のいいことといったら!
私はいつも羨望のまなざしで彼女たちを見ていた。

私は自分が出産するなんて考えたことがなかったし、自分の兄弟たちの面倒を見た覚えもない。
子供は苦手で、なるべく接触しないようにしていた。
私は完全に、このずいぶん年下の若いお母さんたちや小学生のお姉ちゃんたちより子育て経験が劣っている。

私の娘は、こんな私が育てていて大丈夫かな…
という不安がちょっと出てきた。

私は、産んではみたものの初めての赤ちゃんで、この月齢でハイハイしたり、つかまり立ちしたり、離乳食とか、少し硬いもの食べてOKとか、スプーンつかえるとか、箸を試すとか、わ~何にも知らない!
私がこのまま世話していたら、この子はできることもできないまま時間がたってしまうかもしれない…
それに、私は出不精であんまり外にも出ないから、この子は自分の家族や近所の人くらいしかあったことがない。同じくらいの小さい子たちとの接触が少ない…それはいいことではない気がする。

それで保育園に入れよう、と思った。

そうしたら、そもそも保育園ってどんな風に入るのか、どこにあるのか、なんか何にも知らなくて、またまた焦ったけれど、とりあえず市に電話してみたり、保健士さんからもらった書類を読んだりして、娘が1歳になる直前に保育園に預けることができた。

そして、そうしたら、娘はすうっとなじんで、毎日楽しそうに保育園に通い、迎えに行くとたくさんの友達と遊んでいて、家に帰ってもモリモリ食べるし、ぐっすり寝るし、しばらくして箸が使えるようになったり、とにかくすごい成長を見せた。

それで私は、保育園バンザイ!保育園ありがとう!だった。

その後、その認可外保育園から認可保育園に移って、そこも素晴らしい場所だった。
迎えに行きながら子育ての悩みを保育士さんに相談したり、家では見せない表情を保育士さんに教わって感動したり、連絡帳を読むのも楽しみだったし、一人っ子の娘が同世代と交流できる大切な場でもあり、いろんな楽しい行事を催してくれた。
やっぱり、保育園バンザイ!保育園ありがとう!だった。

私のような子育てド素人の出不精が娘を囲って育てるより、保育園のようなプロ集団の中で多くの時間を過ごせたことは、娘にとって本当に良いことだったと思う。
そこで私が学んだのは、親の私や夫自身がやるべきこともあるだろうが、
私よりもっと適した場所や人を、娘のために見極めて、適切な時期に機会を与えることは、大切な親の役割だ、
ということだった。

子供を育てるのに、親が一番、だとは思わない。今だって、愛情は一番あると自負するが(夫は自分だというかもしれないが)、育て方はあんまり自信がない。
娘の幸せを願うと、自分だけでは心もとない。
素敵な人たちを見つけて、私たちの子育てにかかわってもらおうと思う。
小さいころからずっと教えてくれている習い事の先生や、娘が尊敬するかかりつけ医の先生や、近所に住んでる猫好き仲間のおばさん、などなど…
とにかく、たくさんの素敵な人たちと一緒にこれまで娘を育ててきたし、これからもよろしくお願いします、と思う。
そして、娘の親としてできることは、とにかくいっぱい愛情を降り注いで、苦楽を共にしながら一緒に過ごしていくことかな、と思っている。

先日、娘はたまたま10年前に通っていた保育園を訪ねることがあったらしい。
そしたら出会った先生が、娘の名前を呼んでくれたらしい。「○○ちゃんでしょ?大きくなったねぇ!」
娘は、驚き感動したと言っていた。
マンモス保育園で、長年数えきれないほどの子供たちを見てきただろうに、どうしてそんなミラクルなことができるのか!?
親戚の新生児たちの名前も覚えられないし、テレビで見る俳優さんの名前なんて「ほら、あの人、なんだっけ?」ってなってる私には、もう、信じられない。

心から、保育園ありがとう。



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