見出し画像

夏のある日。〔短編小説〕

都会から離れてもきちんと舗装がされている道が多いことに、関心をしながら車を走らせる。日本のこういうところが凄いと、海外から旅行に来た人々が言っているのをTV番組でみたことがあるからだろう。

高速道路にのってからというものの、小学五年生になる亮太は後部座席で横になり、妻の楓も助手席で眠っている。私は昨夜から準備をしていた二人とは違いぐっすりと眠らせてもらったおかげか、とくに眠気を感じることなく運転に集中することができた。

私の母であり、亮太の祖母である恵子から電話があったのは、一昨日の夜の事だ。

夏休みだから少しくらいは孫の顔が見たいという内容で、私も楓ももちろんそのつもりではあったのだが、帰省する日にちを決めかねていた所だった。

そんな矢先に電話があり、母の予定と私たち家族の予定を照らし合わせた結果が、今日と明日の二日間。

高速道路を降りる前に休憩を。そう考え止まったサービスエリアには家族連れが多く、その他にはバイクが趣味なのであろう集団が集まっていたりとそれなりに賑やかだった。

車が停まったことで目を覚ました楓にコーヒーでもいるかと聞いたところ、一緒に行くと言う。亮太は後部座席でぐっすりと眠っていたので起こすのも可哀想だと思い、そのまま向かった。

車内で熱中症になっては大変なので、エンジンをかけたまま。目の届く屋外で注文できる店なら、大丈夫だと思った。声が届くように窓も少し開けておく。

サービスエリアにはカフェが入っており、その店は路面から注文できるようになっていた。アイスコーヒーと炭酸ジュース、軽食を持ち帰りで注文し、待っている間に楓との会話を楽しむ。

途中、楓はお手洗いに行くと言い一人でいる時間ができた。その間、母に電話でもうすぐ到着することを伝える。休憩をしたらすぐに出発すると。

注文から数分。いい匂いのする紙袋と紙でできたスタンドに立たされた飲み物を受け取る。カラカラと氷が紙のコップにあたる音が、心地よかった。

亮太が心配だったため足早に車に戻る。楓も後ろから追うようにして戻ってきた。楓が持つと言うので紙袋と紙のスタンドを渡す。

車に戻ると、ちょうど亮太が起き上がる所だったので「おはよう」と声をかけた。

「おはよう」と亮太が返事をし、その寝ぼけた声に楓が笑う。
「おしっこ」と亮太が言うので、私も一緒に行くことにした。

二人で揃って小便器に向かい放水活動を行う。何となく、本当に何となくだった。

何気ない会話が私をゾッとさせる。

「さっきは一人にしてごめんな」私は目を覚ました瞬間にいなかった事を息子に謝る。親としてあまりよろしくない行為だったと。

「え?」

「車でだよ。起きたとき、お父さんもお母さんもいなかっただろ?」買い物に行っていたんだ。好きな炭酸ジュースを買っておいたから許してくれと言い訳をした。

「許すも何も、お父さんずっと運転席にいたじゃん。お母さんは確かにいなかったけど。そのくらいで怒ったり泣いたりなんかしないよ」

僕ももう小学五年生だよ?と亮太は笑いながら言い、先に出ていった。

直後、足元から頭のてっぺんまで電気のようなものが駆け抜ける。

運転席?そういえば私は戻ってから運転席にはまだ座っていない。それどころかドアを開けてすらいない。少しだけ開けておいた窓から亮太に声をかけただけだった。

楓。

お手洗いという場所にもかかわらず、私は手を洗うこともないまま全力で走った。行き交う人々にぶつかりそうになるが、謝っている余裕はない。

人々が訝しんでいるのが分かるが、それに足を引っ張られている場合ではない。

走れ!

脳に”全力”という信号を出すように懇願する。車まで、そう遠くはないはずの道のりが地上から見上げる月のように感じる。

手を伸ばせばすぐそこなのに。

「楓!」カラカラの声で叫ぶ。紙コップにあたる氷の音とは違い、心地よくはない。

車に辿り着き、足の力が抜けた。

「どうしたの?」楓がいた。無事だった。

亮太も後ろから走ってきた。「どうしたの?お父さん。急に走っていくからびっくりしたよ」

汗も遅れて私の体を濡らす。

車内に入り二人に話をした。私の勘違いで良かったと。

「それ、亮太が寝ぼけていただけじゃない」楓は愉快そうにお腹をかかえケラケラと声高らかに笑う。

亮太はというと少しムスっとした表情で「本当にいたんだもん。お父さん、嘘つかないでよ。お母さんが一人で買い物に行ったんでしょ」

亮太のその真剣な眼差しが力の抜けた私を刺激し、私も笑みがこぼれる。

楓一人で行ってもらったということにしたいが、それでは私は本当に嘘つきになってしまう。そのまま笑顔で何も答えず、出発することにした。

とにかく家族全員が無事なのだからほかに文句はない。

私たち家族が出発すると同時に、バイク集団の方が何やら賑やかになっていた。彼らもまた出発の時なのだろう。

高速道路を降りてから二十分も走れば実家だった。到着するなり、母の恵子が玄関から出てきた。

「久しぶりねー」穏やかな母の口調が私の心を少年に戻す。さっきのことで力が抜け、到着でほっとしたせいか私は少し疲れを感じる。

「おばあちゃん」亮太が駆け寄り抱きつく。恵子が頭を撫でながらいらっしゃいと言った。

「お久しぶりです」楓も挨拶をし、恵子も笑顔で答えた。

夕飯の支度が出来ているから、先に食べようと恵子が言い、食卓を囲む。

母はもともと料理研究家として活動していたこともあり、食卓に並ぶ料理はどれをとっても美味しい。

天ぷらや唐揚げといった揚げ物に、肉じゃがやブリ大根といった煮物が用意されていた。久しぶりの帰省ということもあって食卓は盛り上がり、その笑い声がさらに食事を美味しくする。

食事も終わり、片づけをしていたときに恵子が切り出す。

「あんたたち、無事でよかったわね」

「まぁ、安全運転だったしな。休憩もきちんととっていたし」今さらとは思いつつも心配してくれていたその声に答える。

「違うわよ。あら、もしかしてニュースで見ていないの?」

「何の?車だったし、着いてからはすぐに食事だったからニュースなんてみていないよ」

楓が亮太と食後のコーヒーを運んでくれている。亮太の片手には冷凍庫に準備されていたアイスが握られていた。

一緒にいる時間が少ないわりに、恵子は亮太の好みが分かっている。それが祖母というものなのだろうか。

「あんた、サービスエリアで電話くれたでしょ。もうすぐ着くって。そのすぐ後にニュースでね。あんたが居たサービスエリアで誘拐犯が逮捕されたって流れていたのよ」

背中にアイスでも入れられたのかと思うほど、冷たさを感じた。振り向くと実際に亮太がアイスを私の背中に突っ込んで遊んでいたのだが、それとは別の冷たさが背中に残る。

恵子が見たニュースの内容では、あのサービスエリアで誘拐をしようと企てていた二人組が、親が乗っていない子供がいる車を狙っていたとのこと。まさに犯行に及ぼうとしている瞬間を、バイク集団が休憩中に発見し声をかけたそうだ。すると二人組はバイク集団のバイクで逃げようとしたが、相手は集団。逃げ切れるはずもなく、そのまま警察が来るまで取り押さえられ逮捕された。

私たち家族が出発しているときに見たバイク集団の賑わいは、決して愉快だったからではなく、まさに誘拐犯を取り押さえている瞬間だったわけである。

「良かった。わたし達が買い物に行っている間に亮太が誘拐されなくて」楓が声を漏らすように言った。

「わたし”達”じゃないでしょ。お母さんだけで行ったんだから、お父さんは運転席にいたもん」亮太が自分は寝ぼけていたわけではないと主張する。

「あんた達、亮太を置いて買い物に行ったの?」

「あぁ、近くだから大丈夫だろうと。危なかった」

「何をしとんのねー。まったく」

「違うよ、おばあちゃん。お父さんは運転席にいたんだから」

そうかい。微笑みながら孫の頭を撫で、立ち上がると仏壇に向かった。お線香をたき、座る。チーン、と音が鳴り響き母は手を合わせた。

「もしかしたら、お父さんが守ってくれとったんかもしれんね」

仏壇に手を合わせる母の後姿を見て、私と楓も仏壇へ向かう。今度は亮太の手を引きながら。

お線香をたき、家族みんなで祈りをささげる。

(父さん、ありがとう。)

今年もまた、人を想う夏がきた。



読んでくださってありがとうございます。本当に感謝です。 サポートしていただいた資金は、各地を旅するため大切に使わせていただきます。より面白い物語、写真、旅で得た情報を届けるために。