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とあるゲイの思春期 - [4] 夜

毎日甲子園球場での売り子のバイトに明け暮れる日々を過ごす中。
高校野球が終わり、時折売り上げ1位のプレゼントをおばさんからもらうとそれを持って、父の女友達のいる家に帰る日々を送る。

「ただいま」

またこの言葉を口にする日々が来るとは。何だか妙な感じだ。

彼女は「お帰り」と言い、僕は売り上げ1位の証である、ロゴ入りTシャツを彼女に見せる。
すると彼女は、
「やるやんか」
と笑顔で口にし、とても喜んでくれた。

いつも先に風呂に入るように勧める。
炎天下の中、汗でぐっしょりの僕にとっての命の洗濯。
癒しの時間であった。

風呂から上がると、ありがたい事に食事の準備が済んでいる。

「育ち盛りなんやから、いっぱい食べや」
そう言いながら、彼女は水割り片手にテレビを見ながら食事をする。
おかずは今思えばつまみのようなものが多かった気がするが、僕にとっては新鮮だった。
飲み物は麦茶といきたいところ。
だが、残念ながら夜になるとこの家にアルコールの入っていない飲み物は存在しなかった。

どういうわけか、夕食に出される飲み物は決まってウイスキーの水割りだった。
お酒を知らない僕だったが、これが案外イケる。

今思えば、これはあまり青少年の健全な育成に反している。
しかし、当時は今ほど世の中は未成年の飲酒に対して、ある種寛容だったかのように思う。
(もちろん今の僕は決して未成年に酒を勧める事はない。)

昼は炎天下の中、額に汗して働き、夜は風呂に入り、お腹いっぱい食べてぐっすり眠る。
当たり前の事なのかも知れないが、その当時の僕にはその当たり前が当たり前でなかった。
運動して、きちんと食事をして、ぐっすり眠る。
成長期の僕には圧倒的にこの“当たり前”が足りていなかった。

この頃僕は、母の病気の事やその他進路の事など様々な事に悩んでいたが、彼女はそれらを全て丁寧に聞いてくれた。
大体、どの悩みも結論は
「まだ人生は長い。そんなに焦らなくてもええ。ゆっくり考えればええんや」
というものであった。

高校生に酒を勧める型破りな彼女であったが、話すことは
「なるほど。確かにその通りだ。」
と思った。

だが自分が同性愛者である事は決して話さなかった。
それだけは決して話してはならないし、悟られても駄目だと感じていた。

10代の僕にとって、これから先の人生は果てしなく長い。
彼女がいつも口にするケセラセラで果たして解決するのだろうか。
きっとこの同性愛という病気は一生治る事はない。
根拠はないがそう確信していた。
同性愛者である事をありのまま話したとして、どんなに型破りな彼女でも、その解決策を見出す事はできないだろう。
下手をすれば嫌われて縁を切られてしまうのではないか。
そう感じていた。

気づけば僕は彼女をまるで母親のように慕っていた。
ろくでもない父ではあるが、こうなる事を想定していたのかも知れない。

夏休みが終わり、僕は元居た一人で暮らす平屋の実家に戻った。

死んでしまいたい。

そう考えていた僕は、留年する事も退学する事も全く恐れていなかった。
しかし夏休みが終わると、そんな事は一切考えなくなっていた。
3学期からはとりあえずまともに学校に行く事にした。
一大決心をしたわけではない。何となくそうしたいと思ったから。

母親の様に気が変になる事があれば、彼女が力になってくれると話してくれた。
進路の事は焦らず自分のペースで考えれば良いと言ってくれた。
同性愛者である事はひとまず棚上げにして…

彼女のお陰で、心が整った。


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