見出し画像

とあるゲイの思春期 - [1] 母

僕の子供の頃から10代の頃の経験は、40歳手前になった今思い返しても、まるで悪夢を思い返しているような現実感のない、なんとも後味の悪い不思議なものだった。

物心がついた頃、父は家に帰ってくる事がほとんどなかった。

恐らく3ヶ月か半年に1回、夜遅い時間に僕と母の住む家に立ち寄り、晩御飯を食べて、朝早くにはいなくなっている。態度は横柄で、口が悪く、運が悪いと母と掴み合いの喧嘩をする。
そういう面倒くさいおじさんという認識をしていた。
だから夜遅くに父が家に帰ってくると、とても居心地が悪かった。
いつ喧嘩が始まるか不安でほとんどの眠る事もできなかったのを今でも覚えている。

僕が小学生になる頃、父と母はよくお金で揉めていた。
恐らく父が家にお金を入れないのが原因だったのだろう。

今思い返せば、飯の種もよこさず喧嘩の絶えない夫なのであれば、母はさっさと離婚して働きに出て自立した方が幸せだったのかもしれない。
しかし専業主婦をしていた母にその発想はどうもなかったようだ。
母の中で“母親が家にいないと子どもが不幸になる”という、現代では考えられないような固定概念に縛られていたのかもしれない。

小学校2年生ぐらいの冬だっただろうか。
僕は風邪を引き学校を休んだ。
厄介な風邪でたぶん1週間ほど寝込んでいた。
病院に行き、しばらく療養をして風邪が抜けてようやくまとも動けるようになった日の昼間に母は泣いていた。
ただひたすら、財布の底を見つめながら、涙を流す母を見て、どう声を掛けたら良いものかと一瞬考え、「どうしたの?」と母に尋ねる。
すると母は、「もうお金がないの。私どうしたら良いの?」とパニックを起こした。
僕はただただ母が気の毒に感じると同時に、これから先、母と自分の生活はどうなるのか、強いけども、どこかぼんやりとした何とも言えない不安を感じた。

この頃の母は40代前半だっただろう。
今の僕とほぼ同世代だ。
僕が母の立場なら間違いなく、どうやって自立しようかと思い悩むところだろうが、やはり母にその発想はなく、恐らく親戚に返すあてもないお金を借りたのだろう。
なんとかしばらく生活をしのいだ。

僕が小学校4年生ぐらいになった頃。
母の言動が少しずつおかしくなり始めた。

ある夏の日、コップから水滴が落ち、僕が読みかけていた雑誌のページを濡らした。
ちょうど雑誌に印刷されていた芸能人の顔に水滴が落ち、その部分だけかすかにふやけた状態になった。
僕は特に気にすることなく、雑誌のページを閉じようとした。
印刷された芸能人の顔がふやけたのを見た母親は、何やら神妙な面持ちで僕のところに近づいて
「これはきっと何かのお告げだわ。近々不吉なことが起こるに違いない。」
とよく分からないないことを言った。

別の日は、クーラーから冷気が出る吹き出し口をずっと長い間見つめ続け
「ねえ、その隙間にカメラがある気がする。誰かがこっちを見ている。私は監視されている。」
と脈絡もない、辻褄の合わない事を呟き出す。

母と小学生だった僕の二人の生活。
僕はそんなわけの分からない母の言葉を僕は聞き続けた。

その頃テレビの世界では、とある新興宗教が東京でテロを起こし、連日その話題で持ち切りだった。
その新興宗教では、独自の方法で信者たちをマインドコントロールの世界に引き込み、教団の意のままに動かす方法があるという。モザイクごしに映し出される信者らは、教祖を妄信しており、小学生の僕の目にもまともではないと分かる。

「母も何か妙な宗教にのめり込んでおかしくなっているのではないか?」
そう思うこともあった。

小学校5年生になるかならないかぐらいの時期だっただろうか。
母は昼夜問わず、ずっと起きて大きな音で音楽を聴くようになった。
血相を変え、僕には見えない誰かと話しているような様子で、ぶつぶつとひとりで何か喋っていることが多くなった。
時に急に大きな奇声を上げることもあり、僕は不眠症になった。
小学校5年生とは言え、その異様さは明らかで、近所に住む父方の祖母にその事を相談した。
祖母はすぐに父に連絡したのだろうか。
数日と経たないうちに、母はあのろくでもない父親に促され、精神科を受診しそのまま入院となった。

後に分かることだが、母は“精神分裂病”、今でいう“統合失調症”という精神疾患だった。
統合失調症の症状の中によくみられるもので幻聴があり、母はきっと存在しない誰かの声に悩まされていたのであろう。

母の症状は重く、すぐに退院する事は到底できない。
小学生がひとりで暮らす訳にもいかず、かといってあの父がうちに帰ってくるわけでもない。ほどなくして祖母との同居が始まった。
祖母は元々母と折り合いが悪かったこともあってか、
「あんな女を嫁によこして…」
と母の家を非常識だとよく口にした。
僕に言わせれば、祖母の息子である僕の父も非常識な訳で、
「非常識な者同士ちょうど良かったではないか。」
「非常識な男女の間に生まれた僕もやはり将来非常識な大人になるのだろうか。」
と、漠然とした不安の中、日々を過ごしていた。

中学校2年頃、80代半ばを超えた祖母は入院し、家に帰ってこなくなった。
それでも父がうちに帰る事はなく、実家での僕のひとり暮らしが始まった。
掃除、洗濯、買物、つたない自炊をひとりでこなすことになる。
お金は父が食費や雑費などとして月6万円を振り込んでくれた。

父が振込み忘れたら、電話で催促をする事もあったが、月初めか月末に決まって6万円振り込まれる。

一見、とても孤独な中学生に見えるかもしれないが、僕は心底ほっとした。
「邪魔者は全ていなくなった。僕は自由だ。」
と、生まれて初めて心の底から安堵した。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?