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とあるゲイの思春期 - [7] 二度目のカミングアウト

親友Ⅰへのカミングアウトを終えた後、僕の中の“もっとありのまま正直に生きたい”という感情が、さらに加速する。

高校2年生の冬。
僕の中学生からのひとり暮らしは当然のように継続していた。

僕は、以前の記事に書いた、ひと夏の間、ある意味で母親のよう接してくれた父の友人とやり取りをする事はめっきり少なくなっていた。

新しくできた彼氏に夢中になっていたからだ。
僕との接点が希薄になった事で、僕に何らかの変化がある事になんとなく彼女も気づいたのだろう。
ある寒い冬の夜、彼女から僕がひとりで暮らす家に電話がった。

「最近、連絡がないけどどうしてるん」

元々水商売をしていた彼女の勘はどうも鋭いらしく、少し口ごもる僕に
「彼女でもできたんか?別に隠さんでもええやないか。」
と続けた。

その会話をしながら、僕は半年前に、彼女と彼女の30代にぐらいになる実の娘と3人で食卓を囲んだ日の事を思い出す。

彼女の娘が僕の事を
「随分中性的な子やから、最初女の子かと思ったわ」
と笑いながら話した。
その後に、彼女も笑いながら
「あんた、オカマとちゃうやろな?」
と茶化すように僕に笑顔を向けた。

今となっては“オカマ”は差別的な表現にあたるかも知れないが、当時の彼女ぐらいの年代の人には、他にそれを表す言葉が見つからず、そのような表現になったのかも知れない。

“オカマ”とは言っていたけども、そんなに否定的なニュアンスでもなかった。
きっと本当の事を話しても、寛容な彼女は僕の事を受け入れてくれるだろう。
そう希望的観測の後、僕はセクシュアリティの事、彼氏の事など最近起きた出来事の一部始終を話した。

受け入れて欲しいがあまり、ゲイバーに行った事などは、都合よく割愛しながら話したように思う。

うん、うん、と相槌を打ちながら、一通り僕の告白を聞いた彼女は、一呼吸置いて僕に自身の見解を話し出す。

「私、ホモとかそういうの大嫌い。そもそも、生き物としておかしいやろ?ホモが子供を作れるわけない。神様はそんなふうに人間を作ってないはず。」

僕は想像をしていなかった返答に、どうしたら良いのか分からず、ただ唖然とする。
彼女は、さらにトドメをさすようにこう続けた。

「あんたその彼氏と寝たんとちゃうやろな?エイズになるわ。そんな子と鍋をつつき合ったなんてぞっとする。」
衝撃的な言葉だった。

念のため申しあげると、HIVは鍋を一緒に食べる等、日常生活の中で感染する事はない。
コンドームを正しく使わない性行為や注射の回し打ち等での感染が多い。

『告白』という映画の中で、教師が生徒の給食の牛乳に「HIV感染者の血液を混入した」と話し、生徒を脅す場面がある。
HIVについて正しい知識のない生徒たちは、それを聞いてパニックになる。
しかし仮にそんな事をしたとしても、HIVに感染する可能性は極めて低い。
感染は、ほぼないと言い切って良いぐらいだろう。

その頃の僕は、映画の中の生徒と同じく、正しい知識も持ち合わせておらず、少しめまいを起こしながら、次の彼女の言葉で完全にノックアウトされる。

「もう二度と家には来ないで欲しい。私の母親も一緒に住んでいるし、変な病気を持ち込まれたら困る。もう顔も見たくない。」

そう話すと、電話は彼女の方から一方的に切られた。
ゲイである事を自覚してから、最も深く傷ついた出来事で、その時の僕は絶望を感じた。
もちろんその事を誰かに相談する事もできなかった。
その日の夜は頭の中を彼女の言葉がぐるぐると繰り返しリピート再生される。
もちろん眠る事が出来なかった。

とても寒い夜だった。


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