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【日記】毒親とは

身元保証人

先日、noteに書いたが、僕は4月からの転職先に身元保証書を提出しなくてはならない。僕が仕事で何かやらかした場合に保証しますよという人の直筆の署名が必要なのだ。

そこで待ち合わせをし、兄に会ってきた。

僕の家族

以前別のnoteにも書いたが、僕は物心つく前から、父は家にほとんど寄り付かなくなっていた。たまに来て生活費を母に渡して、すぐにどこかに消えてしまう不思議な人だった。だから僕は母と二人で暮らしていた。

ところが僕が小学生の頃、母が統合失調症になった。日に日に症状はひどくなり、最終的に被害妄想が度を越えて、包丁を持って僕が追いかけられることがあった。母はその後入院し、それから今までずっと別居している。当然、小学生の僕にとって包丁を持った母親が追いかけてきたことはトラウマで、今から書くがその後もいろいろあり、精神的安定とはほど遠い思春期を過ごすことになる。

母が入院した後、子供を家に一人で置いていくわけにはいかないと、祖母が僕の面倒を見てくれた。
しかし、僕が中2の頃、高齢だった祖母も身体を壊し入院する。それから僕は、父の月6万円の仕送りをあてに一人暮らしを始める。

高3になった頃、父の経営していた会社が傾き、お金がなくなったのだろう。
何の前触れもなく、仕送りが止まった。連絡しても電話に出ない。
幸いアルバイトである程度稼いでいたため、何とか生活できていたように思うが、高校生のバイト代なんてたかが知れている。

僕は貧しい生活を送り、時々貯金が底をつき、飢えに苦しむこともあった。
その様子を見かねて友人のお母さんがご飯をご馳走してくれたり、やバイト先の先輩がたこ焼きなどちょっとしたものをおごってくれたり、バイト先の廃棄食品で生き延びた。
ここまで大きくなれたのは、家族のお陰もあったが、他人の善意のお陰と言っても過言ではないと思う。

母親のいる腹違いの兄や姉がうらやましかった。
なぜ同じ父を持つ兄弟なのにこんなに境遇が違うのかと、すこし妬んでいたこともあったかも知れない。

兄の話を聞いて気づいたこと

母親のいる彼らは、きっと僕よりましな生活をして幸せになっているんだろうと思っていた。

でも事実はそうではなさそうだ。
姉はうつになったし、兄も50歳を超えて独り身で、仕事もあまりうまくいっていない様子だ。

僕もうつになった時期はあるが、今はなんとか元気で暮らしていて、4月から始まる仕事を楽しみにしている。
大好きなツレもいる。

人生どこでどうなるか分からない。
僕は自分で思っている以上に、実は幸せなのかも知れない。
それもこれもツレのお陰の部分が大きい。彼には感謝しかない。

毒親

育ちや生まれがどうだからと言って、幸せになれないというのは違うと少し違うのかも知れない。とくに30歳を超えて、“毒親に育てられたから私は不幸だ”と嘆きながら、自分の不遇な境遇を呪い続けている人を見ると、なんだやるせなくなる。

結局は縁だったり、選んだ選択肢や行動だったり、努力で幸せになれることがある。。

あまりうまく文章化できていないが、とにかく僕は二度と自分の不遇な境遇を恨むのはやめようと改めて思った。

僕は今幸せだし、もっと幸せになれる。
苦労した分、きちんと残りの人生を謳歌しなければと考えている。


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