複雑な社会で「正味」をちゃんと考え抜くための想像力

石油の「正味エネルギー」が急速に減少しているそうだ。

http://tech.nikkeibp.co.jp/dm/atcl/feature/15/082400125/022100010/?P=1

「正味」とはどういうことか。

ある油井で、原油1バレル(159リットル)相当のエネルギーを投入して、10バレルの原油を採掘できたとする。この10バレルが「見かけ」の入手量である。そして、「正味」は投入したエネルギー分を差し引いた9バレル相当ということになる。正味部分のエネルギーが経済社会で追加的に利用される量であり、経済にプラスの効果をもたらす。見かけの原油入手量10に対して、正味では9しか入手していない場合、正味エネルギー率は90%となる。だが、多くのエネルギー統計では、上記のような場合も10バレルの石油が生産されたとカウントされる。すると、多くの人は10バレル分のエネルギーが追加的に社会に供給されたと考えるだろう 

資源が限りある中で採掘の複雑・高度化が進み、原油供給限界が急激に近づいている(ので、代替エネルギーなり低エネルギーでの基盤作りが必要になる)ということなのだが、

この正味という考え方は、石油に限らずとても重要なのではないかと思う。

◯世界はこれまでは想像もつかなかったような様相でつながりはじめている。

以前はほとんど相関のなかったトウモロコシ価格と石油価格は、バイオ燃料が一気に成長したことで、2007年以降非常に強い正のの相関を示すようになったそうだ。月曜日の日経の経済観測にも、中国の富裕層の食の嗜好が変化し、フライドチキンをもう少し食べるようになるだけで、世界の食料需給のバランスに衝撃が走るかもしれないといった専門家の記載があった。

こうした世界で、自分たちの事業や経営活動に何が投入されていて、何が生み出されているのかということを明確に把握することは容易なことではない。

あらゆるものがネットワーク化された社会において、単純な因果関係で変化の波及を捉えることはできなくなっているからだ。

だが、把握が難しいからといって、そうしたことを想像すること、把握しようとすること、誠実であろうとすることをやめて良い理由にはならない。

誤解を恐れずに「正味」ということを拡大解釈をすれば、

あらゆる営みは、資源としてのエネルギーだけでなく、生産・調達に関わる人々の喜びだったり、悲しみだったりそうした定量的には把握し難いものも、きっと込められているはずである。

いくら最終製品が顧客に喜ばれていたところで、環境や健全な何かが壊されていたり誰かが不幸になっているのであれば、それは「見かけ」の成果でしかなく、多くの顧客を知らず知らずにそうした負の仕組みに加担させてしまうことにさえなってしまう。

実際、例えばアパレル業界では、パタゴニアのような有名企業だけでなく、米エバーレーンのように生産・調達の透明性を高めている企業も増えてきているし、むしろそれが消費者を惹きつける要因にもなっていたりする。

誰だって、負の物語に自ら加担したいと思う人はない。が、気がつかずに加担してしまっていることは往々にして誰しもあるはず。というか、今、目の前の食べ物ですら、その「正味」がわからないほど複雑な社会を僕らは生きているということだ。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/092900020/100300006/?P=1

◯未来を想像し続けようとすること

未来に向けてはどうか。

経営や事業のビジョン性・共感性を高めていくことで、さまざまな経営リソースが集まりやすくなっている時代。資金調達しかり採用しかり。

「未来」という言葉はもはや消費されてしまっているような気もするが、少なくとも根っこが目先の利益や既得権益にあるような「見かけ」はすぐに見破られてしまうし、ワクワクできないものに人は集まらない。

予想を超えて様々な影響が波及していく不確実で複雑な社会において、自分たちの営みがどんな人にエネルギーを与え、どのような変化が起こり、連鎖し、社会を創り上げていくのかを諦めずに、感じ想像し続けること。

それは妄想といっても良いかもしれない。でも、その物語にこそ人は惹きつけられるのだと思う。

以前に、ある事業が人々の暮らしや流通などの社会システムにどう影響していくか、どういった課題の解決につながるかというシステムデザインPJTをやったことがあるのだが、そこで感じたのはビジョナリーな経営者というのは、普通の人は諦めてしまうようなスケールで、想像力を解き放てる人だということだ。そして、”デザイン”はそうしたつながりを見える化し、道筋を生み出すための強力なツールになる。

世界で起こるあらゆることを把握することはできなくても、常に不完全で変わり続けるという前提のもとで、想像(妄想)し、考え続け、つながりを見える化し、やってみる。そして、様々なステークホルダーとのフィードバックサイクルを早めながら、今度は創造の精度を少しづつ高めていく。

未来を語る人は多いが、こうした泥臭いことをちゃんとやり続けていかなければ、人類はなんとなく素敵な未来に囚われ続けてしまうのかもしれない、とさえ思う。

ティクナット・ハンという禅僧の方の言葉に、

“ If you are a poet, you will see clearly that there is a cloud floating in this sheet of paper”

(あなたが詩人であるなら、この一枚の紙の中に雲が浮かんでいるのを見るでしょう)

という言葉があるのだが、それくらいの奥行きと余白を持って、自分と世界のつながりとじっくりと向き合っていく想像力が問われている時代なのではないかと思う。

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