癌の両親と、非日常モードの兄弟。
「ママのガンが見つかった。俺よりも進行しているかもしれない」
父からの電話だった。不在着信2件と、送信後に取り消されたLINEの理由はこれだったのか。
「でもお前も仕事が忙しいだろうし、無理に帰ってくる必要はないよ。検査の後、ママは俺に何て言ったと思う?『これからよろしく、ガンの先輩!』だってさ。意外と明るいんだ。家事も俺と良太で上手くできているし、心配しないで。ただ、お前に伝えておかないといけないと思ってね」
父が明るく振舞っているのがわかった。だからわたしも父の努力を無駄にしないよう、涙をこらえて聞いた。
父は昨年の秋に前立腺ガンを患っており、今も闘病中だ。そして今年の夏、母のガンが判明した。心配しない訳がない。家事はもちろん、家族全員の、特にまだ学生である弟・良太の精神的なサポートも必要になる。
すぐに帰りたかったが、コロナウイルスを実家に持ち込む可能性を断つため、一切人と会わずに一週間を過ごしたのち、車で帰省した。
「おかえり」
母の声は小さく、少しかすれていた。前は大きすぎるくらいの声量で、ボリュームを抑えてほしいと頼むほどだったのに。
身体も小さくなっていた。「やすこ、細すぎるんじゃない?ちゃんと食べて、運動してる?」なんて帰省の度に言われていたが、わたしよりもずっと細くなったように見えた。
「ただいま~」
いつも通り、適当な返事をした。家に着く前に父から、母が気にするから痩せたと言わないであげてと伝えられてなかったら、言葉を詰まらせるところだった。
パートと家事を両立させ、週3日以上ジムに通っていたパワフルで美人な母が弱々しくなり、一回り小さくなった以外、実家に変わったところはなかった。
…いや、それ以外にもう一つ変わったところがあった。
「そういえば、わたしの自転車捨てたの?庭になかったけど」
「ああ、あれ盗まれたみたい。たぶん3日前の夜に。捨てようと思っていたところで丁度よかったって話してたのよ」
そう言って母は少し笑った。驚いて家族の顔を見たが、だれもこのことを気にしていないようだった。
「え!?庭に泥棒が入ったの?危ないじゃん…!」
「だから、他の自転車にはちゃんと鍵をかけるようにしてるよ」
自転車の心配をしているんじゃない。夜中に、玄関のすぐ前にある庭へ泥棒が入ったのだ。しかも庭が面している道路は行き止まり。泥棒がたまたま通りかかって、鍵のかかってない自転車を見つけた可能性は低い。我が家の自転車が狙われたのだ。
弟と一緒にスーパーへ買い出しへ向かう道中、自転車泥棒のことを再び話した。問題は自転車がなくなったことではなく、我が家が泥棒に狙われたことだと強調すると、弟はうなずいた。
「確かに、言われてみればそうだね。全然気にしてなかった」
「ちゃんと対策しないと!防犯カメラなら、さっきネットで注文しておいたから。誰も危機感持ってなくて心配だよ~」
「……多分、“非日常モード”に切り替わってたんだ。父さんのガンに続いて、母さんもガンになって。だって二人揃ってガンなんて信じられる?それにコロナウイルスで生活も変わって…。だから今は普通だったらおかしいことが起きても、多少のことは気にならないよ(笑)。」
それから、こう付け加えた。
「ああそれで、こんな状況なのに将来の心配をする気にもならないのかも。非日常モードだからね、現実味がないんだ」
それなら、わたしの頭も非日常モードに切り替わっている。だって、将来の心配が全く浮かばない。両親が重大な病に侵されている実感がない。何も感じないし、何も考えられない。両親が食べられるもので、夕飯は何を作ろうかと献立を考えるくらいだ。それ以上先のことはわからない。ガンについての知識は必要だけど、知りたくない。母のガンの進行を認めたくない。間違いであってほしい。
非日常モードが早く終わる日を願って。
はじめてnoteを書きました。去年のわたしには想像もつかないイレギュラーな日々をnoteに記録していけたらと思います。
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