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東大阪にあるANDO建築を訪れて

東大阪には魅力のある建築が散りばめられて

ANDO建築はひとつのカテゴリーにも

近畿大学の東大阪キャンパスに散りばめられた様々な
デザインの建築を楽しんだ。東大阪にある魅力のある
建築といえば、ANDO建築もそのひとつ。木々の中に
ひっそりと建つコンクリート打ち放しのシルエット。
そこは偉大な作家の自宅の、いくつもの物語がつむぎ
出された書斎の側に記念館として2001年に開館した。

記念館へと続く雑木林に包まれた生家。訪れた2月の半ばには
その作家を偲ぶように菜の花に包まれる
太陽の光を浴び、輝く菜の花の先にある書斎
この場所でいくつもの物語が紡ぎ出された
ここは司馬遼太郎記念館。菜の花の先のアプローチへ
記念館は緑に包まれて。司馬遼太郎が好んだという
雑木林の奥にひっそりと建つコンクリート打ち放しの記念館
吹き抜けに面したステンドグラスは見どころのひとつ
コンクリートの打ち放しは形や空間をより鮮明に
ゆるやかに湾曲した空間。動きをもたらす曲面の
アプローチに飾られた菜の花。2月12日は菜の花忌
角度によって曲面は大きく迫ってくるようで
太陽の光を浴びる雑木林は
ガラス越しにコンクリートの壁に影を落とす
光は時に強く、やわらかく。影ははっきりと、はかなげに
アプローチの先の記念館の入口の
足元には猫の姿。きっと穏やかに暮らしている
館内は撮影できないので心に留めて。咲きみだれる菜の花と
司馬遼太郎の残した句碑にもふれる
雑木林の中な記念館。高く伸びるのは氏が好んだすずかけの木
ぐるりとまわって道路から記念館のフォルムも楽しんで
菜の花に包まれた司馬遼太郎記念館を後にして

建物は地下に掘り込まれることで、雑木林に包まれる

司馬遼太郎は東大阪氏の名誉市民にも

2023年に生誕百年。2月12日よ菜の花忌に故人を偲ぶ

菜の花の風景に、九州の美しい風景を思い出す

九州といえば、過去に北九州で司馬遼太郎展も

北九州市立文学館は、北九州への旅の思い出の場所

九州、関西と旅を続けている。旅といえば、街道をゆく


司馬遼太郎が残した街道をゆく。氏は1971年の47歳
の時に連載を開始し、逝去される1996年までの間に
その数は43冊にものぼる。街道をゆく。それは氏の
四半世紀にわたる旅の物語。その文章には過去の歴史
への思い、今を生きる人々へのあたたかいまなざし、
それらが美しい表現で描写されている。街道をゆくを
読み始めてまだ間もないが、そのように感じている。

そして街道をゆくように、私もこの先も、旅を続けて
いきたいと思う。そこで出会う風景や建築。そこには
歴史や物語がある。私たちは歴史の流れの延長線上に
立ち、未来へと向かっている。氏が説くように、歴史に
学び、未来を作る一人としての心構えを持ち歩みたい。

今まで歴史というものを、その言葉以上に受け止めて
はこなかった。その2文字が持つ限りなく深く広がる
世界。司馬遼太郎は若かりし頃から、その事実の中に
生き、その素晴らしさを記し続けてきた。そして同時に
その裏側にあるものも。司馬遼太郎記念館に久しぶり
に訪れ、改めて歴史という言葉の深さを教えられた。

氏は歴史の中に、幾千の人々の人生をみつめ、そこで
この世で求めがたい素晴らしい人々に、なぐさめられ
励まされ、2000年以上の時と共に生きていたという。
そして、その歴史に生きた人々について思いをはせた。

司馬遼太郎は、21世紀に生きる君たちへという文章の
中で私たちに説いている。君たちは、いつの時代でも
そうであったように、自己を確立せねばならない。
自分にきびしく、相手にはやさしく。という自己を。

他人をいたわる感情をたずさえることができるなら。
自分に厳しく、人にやさしくできるなら。人間が生き
ていくうえで必要なその心構えを持てるのであれば。

混迷する社会の中で、日本人は原点に立ち返るべきと
説いていた司馬遼太郎。灰色の雲で覆われている世界。
日々、世界では恐ろしいことが起き、日本でもしかり。
でも諦めることなく、氏の言葉にふれ、日々を見つめ、
旅を通して、歴史を感じ、未来へと進んでいきたい。


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