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「美しい国」を目指すなら、基本は「人づくり」である


2006年4月、コミュニティエフエム(ラジオ)の仕事から再び教員に戻り、滋賀の中高一貫校で働き始めました。ラジオ番組のネタ帳ではありませんが、授業やホームルームに使えそうな記事を新聞や雑誌で見つけた時は、ストックすることを習慣にしていました。

その中の一つ、2007年1月16日の朝日新聞コラム『経済気象台』に書かれていたものを紹介します。

2008年4月から高2の学年主任になったボクは、学年の先生向けに毎朝、A4版両面の教員通信「なんとかせい」を発行していました。担任が発行する学級通信のノリで、表面に先生たち向けの読み物、裏面にその日の予定や配布・回収物、連絡事項などを記載した紙面を配っていました。

その第35号(5月29日発行)で取り上げたのが、このコラムでした。

「我が社は、物づくりをする前に人づくりをする会社です」とは、松下幸之助翁の有名な言葉である。多少キザな感を抱かれる向きもあるかもしれないが、徒手空拳、ゼロから仕事を始めた翁にしてみれば、実感そのものであったろう。 

創業当時の大阪の小さな町工場に、出来上がった人間がやって来ようもない。縁故で集めた若者を手ずから育成、指導せざるを得なかった。翁は「人には必ず何らかの美点があるものだ。それを見いだしてやるのが上の人間の最も大切な仕事だ」とよく語った。教育の神髄をついた言葉といってよい。 

教育は英語で「education」である。それは「educe」(引き出す)という行為を意味する。教育の本義は、走るのが好きな子はより速く、数学の得意な子はより難しい問題を解かせるという具合に、それぞれの子供の才能を引っ張り出してやることだ。 

ところが、日本の教育は長い間、他人との違いを否定しがちだった。運動会ですら競走の順位を付けるのは教育上好ましくないなどとされる始末である。競争や好奇心を否定して、子供のやる気は生まれないだろう。 

もっとも、責任を教育現場だけに押しつけるのは酷かもしれない。科学技術立国を掲げるこの国で、安倍内閣の閣僚18人のうち理工科出身者はゼロである。中国の中央政治局常務委員は9人全員が理工科出身なのに比べ、この国の理工系技術者の位置づけの低さがわかろうというものだ。 

最近、子供たちの理科離れに危機感が強いが、理科を学ばぬ子供は社会の反映でもある。立身出世もしない、待遇も恵まれない、というのでは技術者を志す子供は少なかろう。技術立国は、才能を引き出す工夫に加え、技術者を大切にする社会があってこそ達成できるものなのだ。「美しい国」を目指すなら、基本は「人づくり」である。 

引用の後、ボクが結んだコトバはこうでした。

「教壇に立つ身としては、なおさら胸にズシンと響く言葉の数々・・・。肝に銘じて、日々の実践につなげていかなければならないと、強く思う。」



第1次安倍政権のスタートとして、2006年9月26日から2007年8月27日まで続いた第1次安倍内閣。「美しい国づくり」と「戦後レジームからの脱却」をスローガンに掲げ、教育関係では教育基本法の改正(2006年12月15日成立)はじめ、教育再生会議を立ち上げ、第166回国会中の2007年6月27日には教育再生関連3法案を成立させました。このとき、規範意識の規定や教員免許更新制度の導入などが決まり、物議を醸しました。

○教育三法の改正について:パンフレット
(文部科学省初等中等教育局初等中等教育企画課)
https://www.mext.go.jp/a_menu/kaisei/07101705/001.pdf



そして現在、新型コロナ感染拡大で大きく揺れている第2次安倍政権の第4次安倍(第2次改造)内閣においても、相変わらず「教育=人づくり」が迷走しています。

教育のめざすところは何か
人づくりとはどういうことか

それを考えるとき、改めてこのコラムのいわんとすることが鮮明に浮かび上がってくるような気がします。

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