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学校の役割

学校って、枠を決めて、子どもたちを拘束する場所だ。(もちろん、ドルトンは違うけど・・・)

ほとんどの学校で、登下校の時間が決まっていて、校則を守り、登校すれば「時間割」に沿って先生から「強制的に学習」させられ、放課後も部活動で「勝利をめざせ」と追い立てられる。

そういった、これまでの当たり前、学校を取り巻く「生活」が、新型コロナウィルス感染症の拡大によって大きく崩れた。

休校を余儀なくされたり、分散登校や短縮授業など、学校現場は大わらわ。

授業をどうする、時間数確保が大事だ、予定通り進まない、課題を出そう、どうして届ける、オンライン学習はどうだ・・・

受け手である子どもたちや保護者も、必死になって合わせようとした。

そんな中で、多くの生徒や保護者は気づいた。

学校でなくても学べるやん!
無理して、学校に行かなくてもいいんじゃね?

特に、単純な用語記憶や解法パターン習得のようなインプット学習であれば、インターネットの中に「質の高い」「教え方の上手い」先生がたくさんいて、自分のペースで効率よく、しかも無料で学べる。

じゃあ・・・、学校って「何するところ」なん?

学校が再開されると、それまでの対応がなかったかのように元に戻り始めた。学校は大事、学校でしかできないことがある。

でも、それはいったい何なのか。

多くの学校では、たぶんそういった思考が置き去りにされたまま、これまでどおりの生活に戻すことが第一。コロナ禍での経験や学び、制限があった中で身につけた効率化・スリム化した部分、新たに獲得したオンラインという手段まで、「なかったかのように」巻き戻している。

考えてみよう。

これが絶対的な答えではないが、単純なインプットではない「協働的な学び」や「対話的活動」こそが、学校に「登校」してでないと、リアルな身体的かつ言語的「接触」がないと、できないことなんじゃないだろうか。

じゃあ、それを学校は、教師は、どんな形で子どもたちに提供するのか。

枠を決めて、子どもたちを拘束するのであれば、それにふさわしい時間や空間の使い方・・・

子どもたちの可能性を最大限に伸ばす機会
精神的に拘束されない自由な学び

を最優先に考えるべきだと思う。


☆十人十色の個性を発揮☆
Do what you like in the last period before going home

https://www.facebook.com/daltontokyogakuen/posts/1049417722220313

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