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トルーマン・カポーティ『クリスマスの思い出』(書評ラジオ「竹村りゑの木曜日のブックマーカー」12月23日放送分)

※MRO北陸放送(石川県在局)では、毎週木曜日の夕方6:30〜6:45の15分間、書評ラジオ「竹村りゑの木曜日のブックマーカー」を放送しています。このシリーズでは、月毎に紹介する本の一覧と、放送されたレビューの一部を無料で聞くことが出来るSpotifyのリンクを記載しています。

※スマホの方は、右上のSpotifyのマークをタッチすると最後まで聴くことができます。

<収録を終えて>

 この時期らしく、クリスマスをテーマにした本を選びました。
クリスマスの小説は素敵なものが沢山あって、たった1冊を選ぶのは楽しいけれど大変な作業で……以下、候補に上がった作品たちです。

・『飛ぶ教室』エーリッヒ・ケストナー
・『賢者の贈り物』オー・ヘンリー
・『クリスマス・キャロル』チャールズ・ディケンズ
・『すべてのものに季節がある』アリステア・マクラウド
・『ガニメデのクリスマス』アイザック・アシモフ
・『サンタ・クロースからの手紙』J.R.R.トールキン
・『クリスマスを探偵と』伊坂幸太郎
・『星の民のクリスマス』古谷田奈月

などなど。

我ながら、このラインナップの美しさに惚れ惚れとしてしまいます。
私ったら、なんて趣味が良いのでしょう! 笑 
冗談はさておき上記で上げた本はどれも心からお薦めする本なので、クリスマスらしい本が読みたい方は、よろしければ参考になさって下さいね。

さて、そんなクリスマスの猛者本たちを抑えて、今回「もくブック」に選びましたのはトルーマン・カポーティの『クリスマスの思い出』です。
ラジオでご紹介した通り、映画『ティファニーで朝食を』の原作者なことから大人な小説を書く人というイメージがありますが、この本は子ども(7歳の僕)が主人公なこともあり、優しく暖かな物語です。そして、それ故に、極限まで高められた、子どもの世界の美しさと儚さが際立つのです。

7歳の「僕」の大親友は、いとこで60歳を超えた「彼女」で、ともに親戚の家で暮らしています。あまり周囲から大切されていないことを自覚しつつも、いたって楽しく2人の世界を満喫する「僕」と「彼女」。そんな2人の1年で1番の喜びは「大好きな人達にフルーツケーキをプレゼントすること」で、そのために1年がかりで一生懸命お金を貯め、何とか材料をかき集めます。

7歳の「僕」はもちろんですが、大人であるはずの「彼女」も、生活を親戚に頼り、同年代との交流もないという「年をとってもちっともまともになれない」社会的に弱い立場にあります。
そんな小さく力無い存在でありながら、それでも他者に分け与えようとする姿はとても美しく、そして胸が締め付けられるような思いがします。
なぜこんなにも、2人の姿に痛みを感じてしまうのか。それは「持たざる者」が、それでもなお他人に与えようとする行為の儚さを私達は知っているからではないでしょうか。さらに言うならば、「持たざる者」の痛みを見て、自分自身の中にある「持てる者」としての部分を恥じるからかもしれません。

「永遠の少年」は美しいのか? 醜いのか?
ところで、古今東西あらゆる物語は、いくつかのパターンに分けられるという考え方があります。
その中の1つが、「子ども(無知)」である主人公が、新しい世界に触れることで「大人になる(成長する)」という構造です。主人公は非日常的な出来事を介して変化するというものです。

例えば、冨樫義博さんの漫画『HUNTER×HUNTER』です。(世代です)
主人公のゴンは「くじら島」という守られた世界で暮らしています。しかし「ハンター試験」をきっかけに外の世界に触れ、自身についての認識を深め「ゴンさん」へと成長します。
※ちなみに『HUNTER×HUNTER』が休載してから、先月で丸3年が経ったそうです。ファンだから全然待てます。余裕です。

これに限らず、『スター・ウォーズ』や『ロード・オブ・ザ・リング』などなど、「主人公が新しい世界と出会い成長する」ことをエンジンに展開する物語は枚挙にいとまがないのですが、時に「主人公が成長を拒む」パターンも存在します。
それが「永遠の少年」という型です。
映画『天気の子』や『打ち上げ花火、上から見るか?横から見るか?』などは、まさしくこの構造です。日本で作られる物語は、他の国と比べて「永遠の少年」パターンが多いとも言われています。

『天気の子』や『打ち上げ花火〜』を例に出したのは、どちらも「永遠の少年」でいるために、登場人物たちが多大な犠牲を払っているためです。
つまり「子どもであること」がどれほど純粋で美しかったとしても、永遠にその状態であることは不自然であり、歪みを生むものということです。
いつまでも子どもでいること、つまり無知であることは、グロテスクでさえあるとも言えます。

いつかは失われる世界だからこそ
『クリスマスの思い出』における「僕」は、永遠の少年にはなりません。この物語は、成長した「僕」が子どもの頃を回想するという構成になっており、その隣に、もはや「彼女」の姿はないのです。
少年から大人になることを選んだ「僕」は既に、あのクリスマスの時間がどれほど美しかったのか、そして得難いものだったのかを知っています。むしろ、失ったことで知ったのです。そして、失われたものとして回想されることで、子ども時代の美しさは完璧なものとなるのでしょう。
次に「僕」があの完璧な美しさに触れるのは、彼が大人になった時、そしてかつての「彼女」がそうであったように、「あげたいものをあげられない」苦しさに身を捩る時なのだろうと思います。

与えること、与えられること。
日本人はキリスト教徒でもないのにクリスマスを祝うと、不思議に思われることもあるそうです。
しかし、身の回りの家族や友人や恋人とプレゼントを交換するとき、喜ばせたい誰かがいるとき、私達はキリストとは違った文脈で、きっと何かを得ているのではないかと私は思います。

今回も長くなってしまいましたね、ごめんなさい。
それではみなさま、よいクリスマスを。
またお会いしましょう、ばいもく。

<了>



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