言葉を手にするということ。
『そういえばこの間、金縛りにあったんだ。知らない人がお腹の上に乗っててさ、声を出そうとしても出ないんだ。』
夢と言うものは、突然思い出すものだ。
僕は彼女の化粧を待つ間、突然金縛りの話を口にする。
「そう。」
彼女は鏡を覗き込んで、アイライナーを走らせる。
マスカラを丁寧に睫毛に重ねると、何度も見下すように鏡を覗き込む。
『僕の話、信じてないの?』
興味無さそうに返事をする彼女に、僕は少し不機嫌そうに訪ねる。
「私は目に見えるものしか信じないの。」
彼女はそう言うと、鏡の中でウインクをしてみせる。
『じゃぁ、愛も信じてないんだ。』
僕は久々のデートを楽しみにしていたのだか、少し気分が落ち込んでいくのを感じた。
「そうなるね。愛なんて、良く解らないもの。でも、君のことは信じてるわ。君のことは好きだし、ちゃんと目に見えるしね。」
彼女はそう言って、鏡から僕の顔を覗き込んで少し笑った。
そして、唇を少し舐めると、ポーチから口紅を取り出す。
僕は彼女の言葉で、少しだけ落ち込んだ気持ちを引っ張りあげると、少し笑って子どものような質問をする。
『好きって気持ちも、目に見えないよ?僕はどうやって信じたらいい?』
すると彼女は急に振り向いて、僕の左手を掴む。
そして、クレヨンのように口紅で、僕の手のひらを撫でる。
「これで良い?」
僕の手のひらには「すき」いう文字が赤色で書かれている。
彼女は何事もなかったように、また鏡を覗き込むと、唇に色を重ねる。
僕は手のひらを眺めながら、どうしようか考える。
この手は洗って良いものなのか。
鏡の中の彼女は、赤い唇の口角を小さく上げると、「出かけよう。」と小さく呟いた。
僕の左手の指達は、まるで金縛りにあったかのように、重くて動かない。
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、彼女は「早く手洗いなよ。」と僕に言い放った。
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