言葉のセックスについて。

彼女は言った。

「世界の全てのものを理解するなんて不可能なのよ。」

僕は彼女の全てを理解できないし、逆もあるはずだ。
逆に言えば、僕が彼女を全て理解したとすれば、彼女を理解できないということを理解できない。
自転車に乗れるようになったとき、乗れなかった時の感覚を思い出せないように。
つまり、知ってしまえば良いかもしれないが、知らなくてもそれなりに生きていけるってこと。
彼女にとって、僕はその程度の存在だったのかもしれない。

「死んでるように生きるなら、生きてるように死にたい。」

と彼女は言った。
生きてるように死ぬことは、難しいようで簡単に思えた。
つまり、一瞬なんだ。
すべての物事は。
特別な瞬間なんて何一つないはず。
死んでいく瞬間だって。
僕が彼女の中で果てる瞬間だって。
彼女は言った。
セックスよりも気持ちいいことの存在について。

「会話をすることが、とても心地いいことがあるの。君と私の言葉が、綺麗にかみ合ったなら、それはとても気持ちのいいこと。詩を唄うときのような気持ちになる。」

彼女は、セックスを愛のある行動や、コミュニケーションではなく、アイデンティティの開放と考えていた。
自立をしていない人同士がセックスをするから、それに依存してしまうんだと。
単なる快楽への依存ではなく、お互いがお互いに依存をしてしまうと。
彼女はこんなことも言った。

「そもそも、セックスって何かしら?自分の快楽を求める為ならば、それはただのエゴで、マスターベーションと何の違いも無いと。セックスがなければ続かない関係には、愛は存在するのかしら?愛なんてものは、存在するのかしら?」

「ただ、言える事は、君を愛していると、とてもお腹が空くってこと。つまり、君を愛する為には食事をしなければならないってこと。だから私は、君を愛する為に、食事をもっと愛さなければならないってこと。」

それを聞いた僕はこう答えた。

『だったら僕を食べたらいいよ。』

彼女は僕の言葉を聞いて、目を細めて呟いた。

「まるで、言葉のセックスみたいね。」

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