メディアとデザイン─伝え方を発明する(6)「A から A' または B」
私が行なってきた演習でもっとも完成度が高いのは、ここに書いた「数値化と変換」だろう。この手前には「音楽と色彩」(『美術手帖』2000年6月号)のテキストとそれを実践したいくつかの作品がある。
タイトルの「A-A'」は、稲垣足穂の「タッチとダッシュ」から。
──或る風景がAならば、映画に現われた同じ風景はA'である。
A から A' または B
その昔、映像や音響を組み合わせて表現することを「インターメディア(intermedia)」といった。inter は、そのままでは「埋葬する」という意味だが、うしろに何か言葉がつけば「間」とか「相互」という意味になる。
international は、「国際的な」とか「国家間の」といった意味だし、interchenge は「交換すること」、転じて「高速道路の立体交差」を指す。複数の道路を接続する仕組みということだろう。 internet もコンピュータが相互接続された分散型のネットワークのことである。
同様にインターメディアも、複数のメディアを組み合わせ、相互作用を生みだす表現手法のことだ。その後、マルチメディアと名を変え、産業分野にも浸透し、今では、メディアアートやメディアデザインと呼ばれる分野がその領域を担っている。
では、なにがメディアの「インター」や「マルチ」を実現したのか。それはコンピュータである。音声、映像、テキストなど、すべてをコンピュータで扱うことで、情報として等価になった。
すべての情報は、コンピュータ言語、つきつめて言えば、0と1の配列として解釈される。つまり、音楽も映画も同じ言語で記述できるということだ。すべてが同じ「情報(=01)」になれば交換が可能になる。
例えていえば、日本語と英語では会話は成立しないが、お互いが同じ言語を使えばコミュニケーションできるのと同じことだ。すなわち、「inter-」な状態が現出するわけである。
インタフェース(interface)、インタラクション(interaction)など、「inter-」のついた言葉がこの分野の特徴を端的にあらわしていることを考えても、今さらだが「インターメディア」という名前は捨てがたい。
さて、0と1の配列とは二進法の表記ことだ。だから、情報化とは数値化のことでもある。一旦数値化すれば、あらゆるものは同じものとして扱える。交換可能になると同時に変換も可能になる。
たとえば、テキストデータは文字としてディスプレイに表示することもできるし、音声として読み上げることもできる。視覚的な文字情報「A」は、音声情報「A'」に変換できるということだ。
文字列と発語は同じ内容を持つので変換されているという実感に乏しいが、考えてみれば、明らかに違う表出の仕方をしている。音色を人の声からピアノの音に変え、[ a ] や [ i ] という発音を「ド」「レ」といった音階に置き換えれば、テキストデータでメロディを奏でることも可能である。数値化と変換の手法で、内容も表層も全く違うものをつくりだすことができる。
コンピュータで扱う情報は、テキストなら文字コード、演奏情報はMIDI、色情報はRGB値というように、すでに数値化する規格があるので、それをインタープリト(intrerpret、ここにもinterだ)することで変換が容易になる。ようするに、通訳を間に立てるのである。
かくして表現は、数値を介してメディア間を自由に行き来することになる。
この「数値を介して A を A' または B に変換する」というデジタルメディアの手法は、私のゼミの定番ワークショップになっている。
通常、美術大学での課題は、出題されたテーマがあって、それに対するアンサーとして制作することが多い。しかし私の場合は、制作方法を設定してテーマは各自で考えることにしている。これもコンピュータ的な思考の応用で、アルゴリズムを決めてパラメータを設定することで具体的なかたちを導く方法なのだが、テーマを決める力とアルゴリズムを利用する力の二つを養うという目論見もある。
簡単に課題制作の手順を説明すると、まず対象 A を決め、それを数値化する方法を考える。次に成果物 A' または B を決める。そして、A から得た数値から A' or B を導き出す方法を考える。この三つを決めたら、あとは作業あるのみである。考え方は借りてきても制作にプログラミングを用いる学生は少ないので、自分が計算機となってひたすら作業する。
今年度のワークショップでは、「きらきら星」と「星に願いを」の歌詞から導いた星座図のようなプラネタリウム板、竹久夢二の詩「椿」からつくる椿の絵をあしらった栞、ひらがなを文字のストロークの長さに変換するアニメーション、画数を階調に変換して新聞1面の文字すべてをグレースケールに置き換えた作品など、すべて同じ方法でつくったとは思えないユニークな習作が生まれている。
アルゴリズミックなデザイン手法は、思い通りの結果を得られるとは限らないところに魅力がある。そこには、思いもよらないものが生まれる可能性があるからだ。自分では発想できないことや、自分では作り得ないものを、自分の手でつくるという不思議な現象が起こるのである。(2009年6月執筆)
追記:図版はこの年の演習の学生作品
上図)椿の栞。椿のシールと50音表を応用した変換表がキットになっており、自分で栞をつくることができる
下図)「きらきら星」(右)と「星に願いを」(左)のプラネタリウム板。携帯電話のキー配列を利用して、歌詞を星の位置と等級に変換している
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