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メディアとデザイン─伝え方を発明する(7)「写しとデザイン」


写しとデザイン

江戸時代まで脈々と続いた日本の伝統文化は、明治以降ヨーロッパの(そして戦後はアメリカの)あとを追うことで、根こぞぎ途絶えてしまった。
というようなことがよく言われる。
しかし、人々の深層にある感性までそう簡単にリセットできるものではない。実際、かつての日本の美意識が受け継がれていると思われる事象はさまざまにある。

たとえば、古着やビンテージジーンズは「さび」を好む気持ちだろうし、ヤンキーファッションは「ばさら」や「かぶき」を連想させる。オタクと「数寄者」も似たようなものだろう。同じ顔の登場人物を髪型や服装で描き分ける少女漫画が、引目鉤鼻のやまと絵の手法と近似している例もある。様式化した茶の湯や伝統芸能となった歌舞伎より、よほど日本のこころを伝えている。

美術や芸術という概念は、明治期にヨーロッパから輸入されたものだ。「美術」はドイツ語の“Kunstgewerbe”、あるいは英語の“Fine art”の訳語だが、今では視覚芸術に絞った範囲で使われている。
かわって、“Liberal arts”の訳語として考えられた「芸術」が、音楽や演劇なども含めた、ファインアート全体を示すようになった。いずれにしても、両方とも明治以前の日本にはなかった言葉である。

では、「日本美術」と呼ばれるものは一体何だろう。工芸であったり装飾であったり挿絵であったり、意外に日々の暮らしのなかから生まれたものが多い。狩野派の障壁画は武家屋敷のインテリアであり、琳派につながる蒔絵や屏風絵は上層町衆たちの道楽である。江戸の出版文化が生んだ浮世絵、一枚の反物に帰する着物の仕組みから育った数々の文様、軸にせよ茶碗にせよ、いずれも「アート」より「デザイン」とよぶのにふさわしい。日本の伝統美術の多くはデザインとして受けつぐことが可能なのだ。
だとすれば、日本美術のなかには、きわめて日本的なデザインの方法が仕込まれているはずである。

そのひとつに「写し」をあげることができる。模写や模造は西洋にも中国にもあるが、「写し」はきわめて日本的な制作手法である。宗達、光琳、抱一の「風神雷神図屏風」がわかりやすい例だろう。宗達の屏風を光琳が、光琳のそれを抱一が写した。模写することで技術を得ようとしたわけではない。敬愛する作品を写すことで、そこに何かがやってくることを期待するのである。

書道の手習いでは臨書を行なう。水墨画はお手本帖を見て練習する。謡も噺も師匠からの口写しでおぼえる。写すことが基礎的な技術で、個のオリジナリティという考え方はもともとない。

「写し」は、「移す」やからっぽの「空【うつ】」と同じ語根をもつ。からの容器を「器【うつわ】」といい、そこに何かをウツすと、それが「現【うつつ】」となる。「何もないところからつくる」のではなく、「何もないところに呼びこむ」のが「写し」という技術なのだ。

この「写し」をなんとか今に活かせないかと考え、「本歌取り」に思いが至った。「本歌取り」とは、有名な古歌の一部を自作に取り入れることで歌に奥行きを生む、和歌の技法のひとつである。
たとえば恋の歌を本歌とし、秋の歌を詠めば、移ろいやすい季節に人を思う無常を描くことができる。

この本歌取りをワークショップにして、さっそくゼミで試してみた。もちろん和歌を詠むのではない。本歌とする何かを引用することでデザインを成立させるのだ。
ポイントは本歌をリスペクトしていること。本歌への尊敬が欠けるとただの盗用や悪ふざけになってしまう。

最初、ゼミ生は、写しや本歌取りの概念を理解するのに苦労していたが、DNAにはしっかりと刻まれていたようで、なかなか楽しい作品ができあがってきた。

なかでも一番人気があったのが、スタジオジブリのアニメ映画に出てくる料理のレシピ集。選んだ10の料理をすべて自分でつくって、アニメと同じ角度から撮影している。ニシンのパイのような独特のものもあるのだが、おにぎりやキュウリの丸かじりといった料理とは呼べないようなものもある。しかし、それがジブリアニメのものとわかるやいなや、「おいしそー!」という歓声があがる。単なるベーコンエッグが本歌によって味までかわってしまう、見事な本歌取りである。(2009年7月執筆)

図版:ジブリアニメを本歌とした料理のレシピ集『うまし、かて』と実作された「ニシンのパイ」。タイトルもアニメのセリフから取っている。

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