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田中角栄に学ぶ義理を通す人間関係のつくり方

田中角栄について書きます。

田中角栄とは何者なのか?

石原慎太郎がみた田中角栄の生き様が書かれている本でとても面白いです。

天才
石原慎太郎

田中角栄は新潟出身の政治家で、1972年から1974年に内閣総理大臣を務めた方です。僕が生まれる前ですね。

日本列島改造論で新幹線を地方に通すことや、日中国交正常化で中国との国交を正常化、ロッキード事件などで有名です。

土木業の商売人出身で、お金の大切さを心得てました。いわゆる政治エリートではなく、高等教育も受けていないところから成り上がったので、豊臣秀吉をもじって「今太閤」と呼ばれていました。

また、首相を退いた後も政界に絶大な影響力をもっていたので「闇将軍」とも呼ばれていました。

お金の稼ぎ方、リーダーとしての実行力、人心把握術など学ぶことが多い政治家です。

母親から言われた「大酒は飲むな。馬は持つな。出来もしないことはいうな」という言葉を生涯大切にしていました。膨大かつ明晰な知識と、徹底してやり抜く実行力から「コンピュータ付きブルドーザー」と呼ばれていました。

大蔵大臣に就任した時、大蔵省のエリート役人は田中角栄のことを懐疑的な目でみていたと思います。そんな役人たちに就任時で話した言葉が記されています。

私が田中角栄だ。私の学歴は諸君と大分違って小学校高等科卒業だ。諸君は日本中の秀才の代表であり、財政金融の専門家ぞろいだ。私は素人だがトゲの多い門松を沢山くぐってきていささか仕事のコツを知っている。これから一緒に仕事をするには互いによく知り合うことが大切だ。我と思わんものは誰でも大臣室に来てほしい。何でもいってくれ。一々上司の許可を得る必要はない。出来ることはやる。出来ないことはやらない。しかしすべての責任はこの俺が背負うから。以上だ。

かっこいいですよね。こんなトップについていきたいと思わせる名演説です。

田中角栄は人間関係をとにかく大事にしていました。身近な相手に関わる冠婚葬祭は必ず出席してきた。何よりも生涯たった一度の死に関する行事である葬式には精一杯の義理を果たしてきたようです。自分の政敵であった竹下登の父親が亡くなった時には、田中派の国会銀総出で葬式に参列したようです。

大事な人の葬式に立ち会ってくれる人には感謝しますよね。そうやって例えライバルであっても、大事にしていることに義理を通すことを徹底して、人間関係をつくっていました。

その証拠に田中角栄を批判していた石原慎太郎がこの本を書いています。それほど田中角栄のことを認めていたということだと思います。

田中角栄は日本のことを考え、日本のために尽力していました。この本ではロッキード事件は田中角栄を表舞台から引かせるためにアメリカの陰謀という文脈で書かれています。事実はわかりませんが、それほどの影響力のある人だったことがわかります。

1993年に75歳で亡くなりましたが、もっと長く政権についてたら、もっと長生きしてたら日本はどうなっていたのだろうと想像させてくれます。これからの日本にこんなわくわくする政治家がでてきてほしいなと思いました。

僕も責任は自分が取ってメンバーの能力を最大限活かす。やると言ったことはやり抜く。そんなリーダーになります。