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落語家・立川談志から学ぶ自分を成長させる仕事術

僕は立川談志が好きです。

もう亡くなった落語家さんですが、なぜ好きかというと、それはもう奇想天外で我が道を行く天才だからです。

僕は自分に持ってないものを持ってる人に憧れます。僕は普通の人間なので立川談志のような生き方はできませんが、学ぶことはできます。

落語とは人間の業の肯定である

有名な言葉です。

業(ごう)とは愚かな行いみたいな意味です。

落語には酒を飲んでばかりで働かない、お金にだらしない、女癖が悪い、など、どうしようもない人がよく登場します。

そんなどうしようもないのが人間だよね、と。そんな落語を聞いてると、毎日頑張ってる自分が誇らしくなります。人がどうしようもないことをやっても笑い話にできます。落語を聞くと人間が好きになる気がします。

晩年は、落語とはイリュージョンである、と言って、これは少し理解が難しいんですが、混沌とした秩序のない中に面白さを見い出せるかどうかが落語の神髄、のようなイメージでしょうか。

立川談志はとにかく破天荒で面白い人物ですが、その弟子の立川談春が書いた『赤めだか』という本にいろんなエピソードが記載されています。

とにかく落語に対する想いの強さを感じます。落語を愛してします。つまり人間を愛してるということだと思います。

そんな赤めだかには立川談春が師匠の立川談志に稽古をつけてもらった時に言われたことがたくさん書かれていて、学びがたくさんあるのでいくつか紹介します。

よく芸は盗むものだと云うがあれは嘘だ。盗む方にもキャリアが必要なんだ。最初は俺が教えた通り覚えればいい。盗めるようになりゃ1人前だ。時間がかかるんだ。教える方に論理がないからそういういいかげんなことを云うんだ。
あのな坊や。お前は狸を演じようとして芝居をしている。それは間違っていない。正しい考え方なんだ。だが君はメロディで語ることができていない、不完全なんだ。
それで動き、仕草で演じようとすると、わかりやすく云えば芝居をしようとすると、俺が見ると、見るに堪えないものができあがってしまう。型ができてない者が芝居をすると型なしになる。メチャクチャだ。型がしっかりした奴がオリジナリティを押し出せば型破りになれる。どうだ、わかるか?難しすぎるか。結論を云えば型をつくるには稽古しかないんだ。

このエピソードは「学ぶ」とはどういうことかを教えてくれています。最初からオリジナリティを出そうとせずに、とことん師匠から型を学ぶ。師匠も見て学べと言うのではなく、理論立てて教えるスキルを身につける必要があります。

(自分より後から入門した弟弟子に嫉妬していた時)
お前に嫉妬とは何かを教えてやる。
己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。
一緒になって同意してくれる仲間が入れば更に自分は安定する。本来なら相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。芸人なんぞそういう輩の固まりみたいなもんだ。だがそんなことでは状況は何も変わらない。よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う。

痛烈な言葉ですが本質を捉えています。まさに。嫉妬のエネルギーを自分の成長に向ける大切さを教えてくれます。

立川談志の破天荒な数々のエピソード。でも愛したくなるキャラクター。すごく面白い本です。