見出し画像

高齢者の定義

先日、政府の経済諮問会議の有識者が、高齢者の定義を5歳引き上げる提言をしたというニュースを聞きました。背景には年金支給開始の引き延ばしや定年の延長など、様々な世知辛い事情があるようです。しかし、そのような裏事情は別として、高齢者の定義を年齢で決めるのは適切なのでしょうか?

私は人生の目標の一つに「80歳でフルマラソンを完走する」と掲げているとNotesに書きました。我ながら結構チャレンジングな目標だと思っていましたが、先日テレビで90歳でトライアスロンに出場する人を見て、私の目標なんて大したことないなと感じました。

一方で、世間を見渡してみると、60歳くらいの人でも十分におじいちゃん/おばあちゃんになっている人はたくさんいます。病気や怪我などそれぞれの事情によって老け込んでしまった人もいるでしょうし、その人たちに責任があるわけではありません。

知り合いにも、体は元気なのに気持ち的にはすっかり「俺はもう年だから」と隠居マインドになっている人もいます。私は65歳になっても、70歳になっても元気でいたいし、自分自身を高齢者だとは認めたくありません。

高齢であるかどうかの判断基準は年齢ではないと思います。では、何を基準に判断すればよいのでしょうか?それは体と心の両面のバランスだと感じています。

身体については、しっかりとメンテナンスをして、定期的な運動と栄養バランスの取れた食事、お酒などの嗜好品の節制が必要です。私は定期的に運動しているので、タニタの体脂肪計に乗ると体年齢は実年齢より15~20歳くらい若く表示されます。これをもっと差を広げていきたいと思っています。

次に心についてですが、若い心を保つためには「挑戦すること」が大事だと思います。「この年から始めてももううまくいかない」とあきらめの言葉を吐くようになったら、その段階でおじいちゃんの階段を登り始めたようなものです。そして、新たな挑戦をする中で自分より前を走る若い人たちを見てもあきらめずに、彼らから学ぼうとする気持ちがあれば、年齢を超えた若さを保てるのではないかと思います。

竹原ピストルさんの「オールドルーキー」という曲に、好きな一節があります。

「積み上げてきたもので、勝負しても勝てねえよ。積み上げてきたものと、勝負しなきゃ勝てねえよ♪」

小説「成瀬は天下を取りに行く」の主人公、成瀬あかりは「200歳まで生きる」という目標を持っています。200歳まで生きられるとしたら、やれることやりたいことが山ほどあります。

自分自身の可能性を信じて、いつまでも挑戦し続けたいですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?