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連載:メタル史 1984年①Dio / The Last in Line

パワーメタルのゴッドファーザー、ロニージェイムスディオ率いるDIOのセカンドアルバム。英米で好調なセールスを記録した前作「Holy Diver」と同じメンバーであるロニージェイムスディオ(Vo)、ヴィヴィアンキャンベル(Gt)、ジミーベイン(Ba)、ヴィニーアピス(Dr)に加え、キーボードであるクロードシュネルを加えた5人編成に。基本的には成功を収めた前作を踏襲した方向性ながら、キーボーディストを正式メンバーに加えたことでよりドラマティックな音像を目指したと思われます。

ロニージェイムスディオはメタル界の最年長者(1942年生まれ)であり、長いキャリアの中で幾多のピーク(RainbowBlack SabbathDioHeaven And Hell)を迎えますが、Dio時代のピークは一般的に最初の3枚(次作Sacred Heartまで)とされるでしょう。その黄金期のメンバーが本作で出そろいますし、本作はキーボーディストが追加で入っただけなので実質コアメンバーは同じ。また、1985年にはディオ、キャンベル、ベインはLive Aidに触発されHM/HR系アーティストによるチャリティ企画、Hear'n'Aidを企画し「STARS」をリリースします。

1983-1985はDioが商業的にもメタル界の中心に位置していた時代ですね。その黄金期のただなかにリリースされた本作。

Dioの作品を取り上げるのは当連載ではこれが最後なのでこの後のことも少し触れておきましょう。本作をリリースした後、本作も商業的成功(UK4位、US23位)をおさめ、Dioのアルバムの中で最速で50万枚を売り上げます。商業的成功を収めたまま1985年、同じラインナップで3rdアルバム「Sacred Heart」をリリースしますが、この時バンド内部ではヴィヴィアンキャンベルとディオの確執が顕在化。もともと、Dioとしてデビューする際、キャリアがあるディオやジミーベイン(元Rainbow時代からのバンドメイト)やヴィニーアピス(元Black Sabbath時代からのバンドメイト)に比べるとキャリアが浅く、一番若かったキャンベル(ディオの20歳下、他のメンバーに比べても10歳ぐらい下)は、かなり安いギャラでの契約でした。

それを共に2枚のアルバムを制作した時点で契約の見直しをすることになり、ギャラの増額を約束されていたそうですがそれが果たされなかったというのがキャンベル側の主張。実は1985年、ディオは妻であったウェンディ・ディオとの間がうまくいっておらずほぼ破局を迎えたタイミングで、正直キャンベルのことまで手が回らなかったのかもしれません。上記のHear'n'Aidまでキャンベルは一応参加するもそこで堪忍袋の緒が切れて脱退。そのあとしばらくディオとウェンディを口撃することになります。ただ、そのあとキャンベルはWhitesnakeに入り、1990年代にはDef Leppardに加入して現在も活躍中。自分の確固たるキャリアを築き余裕ができたのか、ある時点からは「ディオは改めて考えるとすごい人だった」と言い、トリビュートバンドにも参加しています。確かに、20歳離れていればいろいろと当時はぶつかることがあっても、同じような年齢になり、自分自身が知名度のあるミュージシャンとしてキャリアを重ねていくうちに理解できる部分も増えていったのかもしれません。

1984年、5人編成のディオ
なお、新加入のキーボーディスト、クロードシュネルはアメリカ人です

なお、ウェンディとディオは夫婦関係は破綻したとされていますが、そのあと、ディオが鬼籍に入る2010年までマネージャーとしてウェンディとディオは関係が続きます。今回調べて知ったのですが、ウェンディってもともとリッチーブラックモアの知人なんですよね。元エインズリーダンバー(UKロック界黎明期から活躍する伝説的なドラマー)の妻であり、ディオは3人目の夫。UKロック界に知人が多いウェンディは「UK有名ミュージシャンの元妻」であった。ちなみにディオも一度結婚と離婚を経験しており、ウェンディは二人目の妻でした。二人はディオがRainbowに在籍中、1978年に結婚する。ウェンディはディオの3歳下で1945年生まれです。そしてウェンディはイギリス人。ディオってUKのバンドで活躍した印象が強いですが、アメリカの人ですからね。イギリスとアメリカって距離的にだいぶ離れているし文化も違う。そのあたりの文化的な差異もあったのかもしれません。

ディオとウェンディ
結婚式の模様
手前右側にしゃがんでいるのはリッチーですね

前作「Holy Diver」の記事でも取り上げましたが、Dioってアメリカ人とイギリス人の混合バンドなんですよね。ディオとヴィニーアピスがアメリカ人で、ヴィヴィアンキャンベルとジミーベインはイギリス人。半分イギリス人、半分アメリカ人という構成はディオ期のBlack Sabbathも同じです。これ、最近だとインターネットとかいろいろ発展しているのでグローバルなバンドも増えてきましたが、当時はけっこう珍しい事例なんですよね。純粋に距離が遠いから自然発生的にはなかなかバンドを組まないし、けっこう文化的な差異もある。だけれど、ディオは奥さんがイギリス人だったのもイギリスになじみやすい、あるいは本人が「UKになじもう」と覚悟した(Rainbowで「これから!」というタイミングの1978年に結婚している)結婚だったのかもしれません。そんな二人の夫婦関係がだんだん壊れていき、バンドとしてのDioも初期の成功を収めたラインナップが崩壊していく。

ただし、ロニージェイムスディオ個人はBlack Sabbathに復帰したり、Heaven And Hell名義でトニーアイオミ、ギーザーバトラーと再共演したりしながら死ぬまで第一線で活躍し続けました。スタジオ盤として80年代Dio以降は商業的大成功は収められませんでしたが、良質なメタル作品を出し続けレジェンドとして多くの後進に慕われ、死の間近までパワフルなボーカリストであり続けました。死後はメタル界において神格化されており、記念する銅像が作られたりしています。

ブルガリアにあるディオの銅像

※はじめて当連載に来ていただいた方は序文からどうぞ。

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1980年から2009年までの30年間のメタル史を時系列で追っていきます。各年10枚のアルバムを選び、計300枚でメタル史を俯瞰することを…

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