Alternative(オルタナティブ)ロック史①:60年代
ロック史を総括してみた前回の記事で「USでの定義だとオルタナティブとはビートルズ史観から抜け出したロックのことなんじゃないか」と定義しましたが、これは2010年代以降ぐらいから、つまり「現在」の定義として感じたものです。いわゆる「従来のロックバンドのフォーマット」を抜け出したもの、というか。
今回は、”もう一つのロック史”、つまり、Alternative Rock史を見ていこうと思います。
現在、Rockの主流はAlternativeになっています。「メインストリームのロック」が空洞化して、Alternative、つまり「従来非主流だった場所」から新しいロックが立ち上がってくるか、あるいは空洞を埋める新スターが出てくるかを待っている状態。
Alternative Rockの本来の定義は「インディーズ精神」というか、「商業主義に染まらない(=メインストリームではない、代わりの)バンド群」のこと。日本語版Wikiの定義だと下記です。
オルタナティヴ(Alternative)とは、「もうひとつの選択、代わりとなる、代替手段」という意味の英語の形容詞。大手レコード会社主導の商業主義的な産業ロックやポピュラー音楽とは一線を画し、時代の流れに捕われない普遍的な価値を求める精神や、アンダーグラウンドの精神を持つ音楽シーンのことである。イギリス、アメリカだけでなく、世界の多くの国に存在する。
英語版Wikiにはより詳しく書かれています。意訳すると、
1990年代に”オルタナティブロック”というものがジャンルとして定義される前は"非主流”という広い意味で使われていた。1985年ごろからポストパンク、ニューウェーブ、ポストモダンなどのバンドにオルタナティブロック、オルタナティブポップという呼び方が使われるようになった。1987年にスピン(音楽メディア)誌が「オルタナティヴ/インディー」という分類を作り、カレッジ(大学)ラジオのDJ達によって広く使われるようになった。ニューヨークタイムズが1997年に定義したところだと”ハードロックのエッジと70年代にインスパイアされたギターのリフを持ち、ナイーブで、苦悩を壮大に表現する音楽”のことらしい。
ただ、「Alternative(代替の、非主流の)」の定義は言葉の意味からして難しい。というのも、本来的には「激しく偶像破壊的、反商業的、反主流」なものをイメージするが、Alternativeにも市場があり、ヒット作も出ているからだ。なので、メジャーレーベルから出ていたらAlternativeではない、という見方もある。
Alternativeの範疇は、当初は「非商業」だったものが90年代に入るとR.E.M.やNirvanaの大ヒットとそれにつながるグランジ・オルタナティブムーブメントによって難しくなった。非主流が主流になっていく。「そもそも商業化を狙って作ったものでないのものが結果として大ヒットした」という側面もあるわけですが、結果としてヒットしてしまえば商業ベースに乗って行き、その苦悩がNirvanaのkurt cobainを追い詰め、Red Hot Chilli PeppersがCalifornicationで「幻想の終わり」を歌うことに繋がっていく。
で、現在では音楽的には「いわゆる従来の(ビートルズから想起されるような)ロックバンドのフォーマットを外れたもの」のことを指しているような気がします。ビルボードの分類だとめちゃメインストリーム路線でポップロックなイマジンドラゴンズもAlternativeに入っていたりするし。エレクトロとロックの融合的な音だからでしょう。
いずれにせよ、結論としては「Alternative Rock」という音像はあまり定義がされていないというか、時代と共に移り変わる言葉です。時代時代で「これって新しい音、今までの主流の音と違うよね」というものが分類される。1990年代にオルタナ勢が特大の商業的成功を収めるまでは「非商業」という側面もあったので、「非商業、自立の精神を持ちつつ、強い緊張感や激しい衝動、感情の表出が伴うもの」がオルタナ、Alternative Rockと言えるでしょう。
さて、今日はそんなAlternative Rockの歴史を振り返ってみたいと思います。前回は商業的成功を収めたものを中心に選びましたが、今回は性質上、商業的にはそれほど成功していない(けれど後世に影響を与えた)ものが増えます。「もう一つのロック史」を、名盤と共に振り返ってみましょう。
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”もう一つのロック史”、Alternative Rock史を紐解いていきます。全10回。1966年から2019年まで、50年以上に及ぶオル…
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