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82.イタリアン・ロックの歴史と魅力 = Måneskin

Måneskin(モーネスキン)は2016年から活動しているイタリアのロックバンドで、2021年5月18日 – 2021年5月22日にオランダのロッテルダムで開催された第65回ユーロビジョン・ソング・コンテスト※1で優勝。2006年にフィンランドのLordi※2が優勝して以来2回目のロックバンドによる優勝です。

Måneskinについては、こちらの記事でバンドの登場背景や与えるインパクトなどが詳しく書かれています。

個人的にはMåneskinの前からイタリアンロックがけっこう盛り上がっている印象だったんですよね。チャートや商業的に、というよりは、面白いバンドが多いなぁという主観的印象。たまたま昨年末に音楽仲間4人と「一人3曲ずつ持ち寄って1年を振り返ろう」という企画をやったら、そのうち3人がイタリアのバンドを持ってきた、ということもありましたし。独自の魅力あふれるシーンがあります。Måneskinが注目を集めている今、イタリアンロックをこの機会に振り返ってみたいと思います。

イタリアンロックの世界へようこそ。

■70年代:イタリアン・プログレ

イタリアンロックはロック先進国たる英国に歩調を合わせるように進化しています。音楽ジャンルとしてのロックンロールの誕生は50年代中盤のエルヴィスプレスリーやチャックベリーとされていますが、今の多様な「ロック」の原型は、60年代に起きたビートルズ、ローリングストーンズを筆頭とするUKロックの世界進出、「ブリティッシュ・インベンション」に端を発しているというのがロック史観の王道です。ビートルズの衝撃の一つは「自分たちで曲を作った」ということですね。それまでのアーティストはカバー曲か、プロの作詞作曲家が曲を提供するスタイルが多かった。ビートルズは「自作自演する」という点においても先駆者でした。

呼応するように、イタリアでも60年代からシンガーソングライター(ちなみにイタリアでは男性SSWはCantautore:カンタウトーレ、女性SSWはCantautrice:カンタウトリーシェと呼ぶ)、ロックアーティストが生まれてきます。代表的なカンタウトーレがLucio Battisti(ルティオ・バティスティ)。イタリア・ポピュラー音楽界のゴッドファーザーとも呼ばれる影響力を持ち、71年リリースの3rdアルバム「AMORE E NON AMORE」ではその後、イタリアンプログレと呼ばれることになるシーンを作るアーティストたちを多く参加させます。

そして、70年代のイタリアンロックシーンは、のちに「イタリアンプログレ」と呼ばれることになるシーンが花開きました。上記の「AMORE E NON AMORE」に参加していたメンバーの中からPFMPREMIATA FORNERIA MARCONI)が生まれます。

70年代のイタリアンプログレの代表的な曲をいくつか紹介しましょう、まずはPFM。

1973年リリースの英語盤「Photos of Ghosts(邦題:幻の映像)」からのナンバーで、このアルバムを引っ提げて1973年のレディングフェスティバル(イギリスの大規模ロックフェス)にも参加し、欧州圏全域で活躍します。こちらの映像は1974年のTV出演時のもの。日本にも1975年に初来日しておおり、その後も複数回来日。プログレシーンの重鎮として現在も活動中。

上記記事の中で紹介していないバンドの中で大物を二つ紹介しましょう。1つ目はフリージャズの要素も取り入れイタリアンプログレロックシーンの中でも気を吐いたArea

1977年当時のTV出演(スタジオライブ)映像がありました。詳細はWikiで。

2組目はアルバム「Concerto grosso per i New Trolls(1971)」クラシックとロックの融合をかなり高次元で成し遂げたというか、独特の迫力と抒情性あるサウンドを作り上げたNew Trolls

他にも魅力的なバンドが多く存在しますが、今回はイタリアンプログレ特集ではないのでさらっと流して次へ行きましょう。

■80年代:ハードコア、メタル、ニューウェーブ

プログレの震源地たるUKと同様に、70年代後半になるとプログレは失速し、次のムーブメントとしてよりシンプルなパンク、ハードコアが生まれます。そしてニューウェーブ、メタルの時代へとつながっていくのがロックシーンの大きな動き。その流れはイタリアンロックも同じです。

ハードコアシーンのキャッチアップは早く、先駆者とされるSkiantosは1977年からアルバムリリースしています。1978年リリースの2nd「Monotono」は名盤。AreaをリリースしていたCrampsレーベルからデビュー。プログレ色の強いレーベルでしたが先見の明があったということなのでしょう。

80年代にはいるとハードコア化。 Raw Powerは同時代でも先鋭的なハードコアとメタルの融合を果たしたバンドです。ミクスチャーの流れの中でも早くからそうした音像を打ち出していたバンド。「Screams from the Gutter(1985)」からのナンバー。

ニューウェーブではDiaframmaの「Siberia(1985)」。ダークで独特な世界観を持っています。ボーカルのカリスマ性もあり、カルトヒーロー的な立ち位置を確立したバンドです。

他に独特な音像を持っていたバンドとしてはCCCPが上げられます。かなり先鋭的なバンドで、1985年のデビューアルバム「1964/1985 Affinità-Divergenze fra il Compagno Togliatti e Noi - Del Conseguimento della Maggiore Età」は、現代イタリア音楽の傑作の1つであり、ヨーロッパのパンク運動全体のマイルストーンと見なされています。こちらは同作の2曲目におさめられているナンバーの1987年のライブバージョン。

あとは上記Diaframma的なカルトヒーローとしてDeath SSもいます。チープさもあるのですが、妙にクセになるんですよね。1988年のアルバム「...In Death Of Steve Sylvester」はこちら。単独記事も書いています。下記の記事にあるのは最近の曲なので聴きやすい分、暗黒感は薄目。

独特のダークネス、暗黒感と宅録感を持った一派がイタリアンロックには存在し、JacuraDevil Doll(イタリアとスロベニアで活動)などがあります。Devil Dollあたりはその後の東欧ブラックメタルの世界観に影響を与えている、、、気もします。

■90年代 オルタナティブ、ポストロック

US、UKを中心とするグローバルなロックシーンとほぼ足並みをそろえてきたイタリアンロックシーン、90年代はオルタナティブ、ポストロックの流れが加速します。

ちょっと先鋭的なところから、UZEDAの1998年のアルバム「Different Section Wires」からのナンバー。

こういうアヴァンギャルドなロックシーンがイタリアには根付いています。古くは1970年代のプログレにもOpus Avantraの「Introspezione (1974)」など、「名盤特集などで初心者が手を出して火傷する」系のアルバムが埋まっています。いや、好きな人は好きだと思うんですけれどね。他になかなかないからクセになるし。

聴きやすいところで言えばAfterhoursの「Hai Paura del Buio?(1997)」はオルタナティブロックの名盤とされています。Måneskinに繋がる音楽性と言えるかもしれません。フロントマンのManuel Agnelli(マヌエル・アグネッリ)はイタリアのTV番組「The X Factor」の企画でMåneskinのメンターとして指導しているようです。音楽性に共通点が見られるのも納得。

他、メタラーであればイタリアに90年代から現れた新星Rhapsody(現Rapsody Of Fire)も忘れることができません。90年代ぐらいからグローバルに活躍するイタリアンメタルバンドが出てきた印象です。2ndアルバム「Symphony Of Enchanted Lands(1998)」からのナンバー。

ネオクラシカルでメロディアスなメタルバンドは80年代後半から90年代にかけてドイツから多く現れ、ジャーマンメタルと呼ばれていましたが、ドイツでは90年代に入るとそうしたバンドが失速。その中で現れた新星がイタリアのRhapsody、スウェーデンのHammerfall、ブラジルのAngraでした。これらのバンドの中でRhapsodyはもっとも登場が遅く、その分クラシカルさやメロディのクサさが際立っていた記憶があります。

■2000年代 拡散と多様化

00年代にはいると、世界中でロック自体が商業ベースでは下火となり、アンダーグラウンドに潜ります。その分、それぞれのサブジャンルが隆興し、「一つの流行」ではなく拡散と多様化が進む。イタリアンロックも例外ではありません。

いくつかこの時代のアルバムを。拡散を表すために2分野、ちょっととがったジャンルを紹介しましょう。

まずはジャズロック。Zuの「How To Raise an Ox(2005)」スウェーデンのサックス奏者Mats Gustafssonとのコラボアルバムです。Frank ZappaLatherにジャケットが似ていますが、影響を受けたんでしょうか。

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続いてGiardini di Mirò(ジャルディーニディミロ)の「Rise and Fall of Academic Drifting(2001)」から1曲。USのポストロックバンドTortoiseあたりも彷彿させる美しいインストゥルメンタル。これはむしろ今どきのUSインディーズなどを聞いていれば聞きやすいかもしれません。

■2010年代のイタリアンHR/HM

さて、最後は2010年代のハードロック、ヘヴィメタルを紹介しましょう。まずは単独記事でも取り上げたDGM。アルファベット3文字のバンドがイタリアは多いんですよね。もともとは創設メンバーの頭文字をとってDiego, Gianfranco and Maurizioの略だったそうですが、今はこの3人とも居ないという。なので今は正式名称がDGM。イタリアの誇るフロンティアレコードからのリリース。

全体的に、イタリアはメロディアスなバンドが多い。イタリアのフロンティアレコード(Frontiers Records)は現在勢いのあるハードロック/メタル系のレーベルです。ここを本拠地にさまざまなバンドが活動している印象。所属アーティストはイタリアのアーティストだけでなく(むしろイタリアのアーティストは少ない)、欧州、USのバンドも多く在籍。

このレーベルの特長として、とにかくメロディアスでキャッチ―な要素を加えることが多いんですよね。イタリア音楽は全体的にメロディアス、特にボーカルラインがメロディアスなものが多く、そのエッセンスを注入する、というイメージ。ベテランアーティストがフロンティアに移籍して輝きを取り戻す例も増えており、イタリア音楽シーンの底力を感じます。

ついで、こちらもイタリアのバンドNanowar Of Steel。もうすぐリリース予定のニューアルバムは「Italian Folk Metal」をテーマにしているそうです。一聴するとまともに聞こえますが、たいていどうでもいいことを歌っています(詳しくは単独記事をどうぞ)。

YouTubeを使うのが上手く、動画SNSから出てきた新世代の一つ。こちらはドイツのナパームレコードの所属。ナパームレコードはこうした色物、、、失礼、特徴のあるバンドが多く在籍しています。単独記事はこちら。

イタリア音楽の魅力は、やはり独特の歌心、メロディセンスでしょう。ルネッサンスの中心地でありバロック音楽の本場ゆえの優美さもあるし、陽気さと哀愁の両方がある。後、南イタリアは北アフリカとも近く、アラブ・アンダルース音楽の影響も受けている(シチリア島はかつてアラブ王朝に属していたこともある)。南北に長い土地ですから、それぞれの土地でけっこう音楽性が違うのも面白い。歴史的に音楽大国であり、それはイタリアンロックシーンにも多様性と完成度の高さとなって表れています。

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今回はさまざまなイタリアンロックのバンドを紹介しましたが、気に入ったものはあったでしょうか。最後はナポリ音楽を代表するこの曲でお別れしましょう。

それでは良いミュージックライフを。

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※1 欧州放送連合(EBU)加盟放送局によって開催される、毎年恒例の国別対抗音楽コンテスト。各国代表のアーティストはそれぞれ生放送で自らの楽曲を披露し、引き続いてそれぞれの参加国が他国に投票して大会の優勝者を決定する。大会は1956年の第1回大会以降毎年開催されており、視聴者の数も1億人から6億人程度と見積もられている。

※2 フィンランドの誇る怪物(メイクアップ)メタルバンド、Lordi。1992年結成で2021年までに10枚のアルバムをリリース。ユーロビジョン2006優勝曲はこちらの「Hard Rock Hallelujah」。



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