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効率重視の無理な成長社会は限界を迎えている

こんにちは、次世代に発酵文化を届けるアグクル代表の小泉泰英です。

前回から引き続き今回は、「効率重視の無理な成長社会は限界を迎えている」をタイトルにお伝えします。

前回は人間も自然の一部であり、そんな中で生きている感覚を大事にしたいという話をしました。

自然の中で生きる感覚の必要性について

どうして自然の中で生きる感覚が必要なのかについて、私は今の効率重視で、成長を常に求められる社会は限界を迎えていると考えています。

効率化や成長を否定しているわけではなく、無理な効率化や急すぎる成長だけでは最終的に誰も幸せにならないのではないかということです。

私がそのように考えるようになったのは、今から3年前の大学2年生の冬でした。

そこから考えた末、その限界を迎えている社会を物理的にも精神的にも解決手段として「発酵」というキーワードが大切なのではないかと思い、発酵食品を製造するアグクルを2018年に創業しました。

経済活動を促進するためのSDGsに対する危惧

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昨年より大きく取り上げられるようになったSDGsですが、2020年は本格的に社会に浸透していく年になると思います。

SDGs(持続可能な開発目標)とは、2015年9月に国連で開かれたサミットの中で世界のリーダーによって決められた国際社会共通の目標のことです。

簡単に言えば、これからも地球や自然や人間社会がなくならないために私たちとして取り組む目標です。

そんなSDGsの流れが加速することは大変嬉しいことである一方、危惧していることがあります。

それは企業の経済活動を促進するためのSDGsになってしまっては本質からずれてしまうということです。

かつて地球温暖化対策としてバイオエタノールを生産するために小麦やトウモロコシなどの穀物が投機(大きな利益を狙った投資)の対象になってしまったことがありました。

投機の対象になったことで、アメリカやカナダなどの農家さんは何もしないうちに穀物の値段が高くなりました。

バイオエタノールを生成するためには、蒸留という作業が必要なため生成に大きなエネルギーを使用します。

そんなことを考えると、環境という聞こえの良い言葉が経済界によって利用された可能性もあるのかもと考えてしまう私がいます。

SDGsはそうはなって欲しくないという想いとそうはさせないという強い想いを持っています。

SDGs=持続可能な開発ですが、自分たちの生き方や仕事や事業が持続可能じゃないことの方が変だなという感覚を持ちます。

本当は別にSDGsという言葉すら用いなくても、人間は育ててもらった地球に感謝し、次の世代が生きやすいようにするのが当たり前なはずです。

地球と言われるとピンとこないかも知れませんが、21世紀という地球を親とし、22世紀の地球を子どもとするとわかりやすいかも知れません。

私たちの親である21世紀の地球に感謝して、22世紀の地球という子どもが生きやすい環境に貢献する感覚です。

分離ではなく、人間も自然の一部として考えるエコロジーを説いた南方熊楠

南方熊楠

私が尊敬する偉人に日本で初めてエコロジーという言葉を提唱した南方熊楠という人物がいます。

熊楠の目指すエコロジーは単なる自然環境保全ではありません。

熊楠は、自然を破壊することは人間の文化や人間性もを荒廃させていくと述べています。

人間が自然を保護するという分離によるエコロジーではなく、人間も自然の一部として考えるエコロジーという熊楠の意見に強く共感します。

地球によって育まれた食べ物を口から入れて、100兆個とも言われる腸内にいる細胞以上の腸内細菌によって分解・発酵されます。

その後、うんちとして体外に排泄され、地球へと返っていきます。

私たちは決して人間単体で生きているわけでもなく、自然と分離して生きているわけではありません。

すべてが一つという自然観の中で存在しているのです。

次回は「発酵とともに生きる」を題として、実際にどうすれば自然の中で生きる感覚が持てるのか書きます。

ここまで辿り着いてくださったあなたへ。人生で誰と出会い、どんな縁があるかはわかりません。でもそれを楽しむことができる人生こそが、発酵ある毎日だと私は思っています。サポートはみなさんとコラボするために使いたいので、意思表明としてお気持ちいただければ嬉しい限りです。