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写真 奈良県曽爾村 (2021)

奈良県曽爾村へ向かった。名張からの長い道はまったく気が滅入った。

三重県は広いといえど、かくも退屈なドライブはほかにあるまい。名張から曽爾村へ向かう県道785号線には何もない。人々はそこで林業をしているだけだ。

非都市部の県境の街はどこでも同じだ。中華街がどこでも同じであるように。横浜の中華街?日本でもっとも栄えている中華街のひとつだが、そこにあるのは小籠包と、数軒の四川料理屋だけだ。

たしかに日が暮れれば美しい夕日に染まる商店街の風景を眺めることができる。夕暮れ時は、ヒジャーブ(スカーフ)を覆うイスラム教徒のごとくどこか少し異国情緒が溢れる。しかし私は曽爾村へ行って高原での過去の記憶を思い出さなくてはならない。

南に向かう道路は、校長の自慢話のように単調だ。山を抜け、丘を下り、川沿いをただくねくね走り、山を抜け、丘を上り、川沿いをただくねくね走る。ただそれだけだ。

曽爾村に着いたのは4時だった。そこには曽爾高原が私を待ち受けていた。

私は有料駐車場に車を停めた。小雨で地面は少し湿っていた。きちんと出発するために少し時間がかかり、駐車料金に800円を必要とした。私がここへ来たのは、健康を促進させるためではない。ただ過去の記憶を思い出すためだ。

8年前ぐらいに1度来たことを思い出した。秋のススキが白くなり銀色から金色に変わる時期に。私は疲れていたのかもしれない。高原の草原の中に素っ裸でいたのだろうか。私がそこのススキで1人遊びをしていたとは、考えられない。

長い年月にわたる土砂の堆積によって池のほとんどが湿地化していた。池の水は雨水と山からの伏流水によって蓄えられていた。その池には大蛇伝説があり、もし私が蛇に遭遇したのなら、一目散に逃げるだろう。噛まれたら、一発蹴りを入れて、きれいに二つに折ってやる。

私は無言で高原を登った。手をゆっくりとカメラに伸ばし、手のひらで握った。両足の感覚はおかしくなっていた。痺れきっている。太ももの裏の部分がきりきり痛み始めていた。その日の歩行距離は12.4キロメートルで歩数にして2万962歩だった。その日は1杯やりたくなった。ハイキングで疲れたり、仕事がきついときは喉を湿らしたくなるから。

私は登頂した。ウィスキーを1本開けて、酔いつぶれて寝てしまうぐらい頂上からの景色は美しかった。用は済んだ。ありがとう。そして、振り向いて、下山した。

白い日傘をさして、花柄のワンピースを着たスタイルの良い若い女も、草原の階段を下っていった。静かな草原にはこの手の華やかな女は必ず1人はいる。私は湿原の植物を探しながら、引き上げた。

私は出発地点に戻り、駐車場まで歩いた。空を見上げた。雲が出ていたが、涼しく爽やかな夕方だった。それから車に乗り込み曽爾高原を後にした。

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