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詩集 『長崎旅行についての散文』(2022)

佐世保市 #1

写真 佐世保市 #1

長崎のことを考えていた。

1991年に発見された火星の石を見たのよ。

それをふと思い出したんだ。


君たちの興味のある話と違うかもしれない。

でもとにかくそのことを思い出したんだ。

君たち、長崎のことはどう思うんだ?


先日長崎に行きましたよ。

ええとあれは年の瀬の水曜か木曜だったかな。

何をするっていうわけでなくてね。年に一度か二度九州に行くんです。


港町に行って、海鳥を見るんですよ。

ただそれだけです。


海の鳥は魚をとって食べるけど、陸の鳥はそんなことはしない。

人間だってそれぞれ違うんです。


ところで、もし自動車関係の仕事を探しておられるなら佐世保自動車の誰に会いに

行けばいいかお教えしますよ。私の友達があそこで工場長をやってるんです。

たぶん彼に言えば何か仕事が・・・・・・(空想)

佐世保市 #2

写真 佐世保市 #2

カステラでも作れたらな。

ああ、彼女見てよ。どこに行くんだろう?

カステラを作れたらなあ。 

大村市

写真 大村市 

ねぇ、あんなところにラッキータクシーを見たのは本当に生まれて初めてだよ!

ほら、ここだよ。見てごらんよ。ここにある!

そしてタクシーを拾って、どんどん南へ向かう。

長崎平和公園

写真 長崎平和公園

私はいつかアメリカ人に言ってやる。

私がトルーマン大統領のことをどう思っているか。

本気で怒っているんだから。

いつかまたどこかでアメリカ人に会ったら面と向かって言ってやるんだ。

まあ今にわかるよ。

長崎市原子爆弾落下中心地

写真 長崎市原子爆弾落下中心地

昭和20年8月9日午前11時2分、米軍機B29 (ボックス・カー)から投下されたプルトニウム原子爆弾 (ファットマン) がこの地の上空約500mで炸裂、約15万人の死傷者を出しました。

そして私は上空約500mの長崎の空を見上げます。
  

浦上天主堂

写真 浦上天主堂

私は長崎を旅していた。2021年の大晦日のことだ。出発した場所は長崎空港だ。

原爆の被災地を訪れるのが私の目的だった。私はレズリー・グローヴスのNow It Can Be Told : The Story Of The Manhattan Project(マンハッタン計画の物語)という本で学んでいた。

長崎原爆資料館は休みだったので、その日訪れたのは長崎平和公園と長崎原爆中心地だけ、そして浦上天主堂に着いた。

私はそのときこう思ったことを覚えている。原爆でも落ちなかったら、私はこの土地に来なかったんだと。自分はほとんど地縁のない場所にやってきて、旅行をし、写真を撮っている。

しかし思い返してみると、原爆被災地を確かめたかったからであり、死ぬときになって、自分が行かなかったことで後悔するはめに陥りたくなかったからである。

山王神社

写真 山王神社

2021年のことだが、年の終わりに、私はレンタカーに乗って長崎平和公園から山王神社まで行った。2キロばかりのドライブだった。

山王神社には1945(昭和20)年8月9日の原爆投下により、鳥居の左半分が吹き飛ばされていた。そして近くに左半分が横たわっていた。

この神社は爆心地から南東約800mの距離に位置する。

私はポケットからカメラを取り出した。そして思った。

原子力がなければやっていけないといった事業には、すべて用心した方がいい。

風頭公園から長崎湾を望む景

写真 風頭公園から長崎湾を望む景

私が今こうしてこの思い出を書いているのは、写真を撮影してから11日目のことだ。私は風頭公園の展望台からの景色を思い出している。

景色はなんて素敵だったのだろう。遠くに見える橋はとても小さかった。

私が最初にこの話を書こうと思ったとき、私は読者がこう言うだろうと想像した。坂本龍馬の銅像は見ましたか?答えはイエスだ。

それはね、私にとって特に意味のないことなんだ。

長崎駅の景

写真 長崎駅の景

クリスマスの1週間後に私は長崎駅に行ってきた。

街は活気を必要としているようだった。

私は家でフランス・マルチグレイン・バゲットを1本食べ、こう考えた。

ああ、世界はコロナで終わってしまうんだ、と。

長崎原爆資料館

写真 長崎原爆資料館

最初に私はこの曲を歌った。

平和への誓い新たに

緋の色の鶴を折る

清らかな心のままに

白い鶴折りたたみ

わきあがる熱き思いを

赤色の鶴を折る


平和への誓い新たに・・・ 

私は二、三度ばかり口に出してみる。

そして核兵器の抑止力のあり方について考え、被爆者の1人が書いた平和への誓いを読み、首都高速の料金が値上がるニュースを見た。

それから友人にあけましておめでとうと挨拶した。

路面電車の中で

写真 路面電車の中で

冬の朝を路面電車の中で過ごした。


今でもいい思い出として覚えてるのは隣の乗客のこと。


私はびっくりしてしまった。

その乗客は、朝から着物を着ていたからだ。

私は朝にはコーヒーしか飲まない。


つい今朝のこと、私は窓の外の町の様子を眺めていた。

雪が民家の屋根瓦に積もっている。


冬の空が白く美しいという 

ただそれだけで

何かしらいいことがありそうな気がする。

そんなときはないか。

大浦天主堂

写真 大浦天主堂

知り合いに出会うこともなく、私は食堂でちゃんぽんを食べていた。

そしてより多くのこしょうを要求した。


それから私は大浦天主堂へと続く長い坂道を、港風に吹かれながら登っていった。

いつも以上に写真の構図に注意を払いつつ、真昼の空気を吸い込み、吐き出した。

すべては美しい教会のためだ。

おそらく。


大浦天主堂は外国人用の教会として1865年に建てられ、禁教令下で密かに信仰を

守った潜伏キリシタンが、1865年3月17日、この天主堂でプティジュン神父に信仰

を告白して世界に知られた。


ああ、マリア様、と私は思った。

教会は本物だ。


私も一度は神父になれると思ったのだ。

ところが神父どこらか 

たかが音楽家だった。

グラバー園

写真 グラバー園

どうやって冬を越そうかと悩んだあげく、お金持ちのグラバーさんの家を訪れました。ここでの滞在は善きもでした 。見ればおわかりでしょう。

私は隣人とのトラブル・子供の喚き声・迷惑電話・仕事の煩わしさから離れて、休暇を楽しみました。

そして私はゆっくりと芝生を横切っていき、ブーゲンビリアの下で立ち止まり、左から右へ見ていきました。


長崎伝統芸能館

写真 長崎伝統芸能館

夕方近く、私は長崎伝統芸能館の、ひとつひとつの展示品をのぞきこみ、あちこち眺めまわした。

1600年頃の日本人がどのように龍や帆船を使って豪華絢爛な祭礼を行ったかについて。

江戸時代の日本人は優秀だ。

でも船の上に座布団を乗せるのはよくないね。

ぬれてしまうよ。

私も龍っぽい中国船みたいな文章を書きたい。

長崎孔子廟

写真 長崎孔子廟

37人の日本人が孔子廊を訪れていた。私もそのうちの一人だった。私はたくさんの写真を撮った。

私が写真を撮るのは、仮面を被った中国人のことをよりよく覚えていたいからだ。仕事中に仮面を被った中国人について語り、ブログでスライドショーをやりたいからだ。

私は東アジア言語・文化愛好家であり、情熱的な写真家でもあった。
(私はここでなんと40枚の写真を撮っていた。)

屋根の上に小さな素敵な龍の彫刻があった。

ああ、まさに中国だ!

オランダ坂

写真 オランダ坂

私が訪れたのは大阪ではなくオランダ坂でした。

そこで私に会っていたらあなたはきっと心を惹かれたと思います。

それは金曜日の夜と同じくらい楽しいものでした。

まるで外国の町で暮らしているようなものでした。

長崎新地中華街

写真 長崎新地中華街

私はいつか中国語を使うことがあるかもしれないと思って、半年間学校に通って中国語を勉強したことがあります。

いつの日か中国へ行って、天安門広場の毛沢東に向かって"See you next time!"
(下次见 Xià cì jiàn)と言うために。

出島 | 昼

写真 出島 | 昼

さあ、皆さん。

昔のオランダ人の住まいをお見せしましょう。

ここの洋館は一目見るべきです。

私は今の住まいが気にいらなくなったら、

ここのインテリア・デザインを真似していこうかと考えています。

出島 | 夜

写真 出島 | 夜 

冬の夕暮れに染まった出島を歩いた。

通りには、薄着の格好をした侍が立っていた。

私は臆することもなく、夜の闇の中の洋館に向けてシャッターを切ってやった。

写真を撮った分、人生が豊かになる。  

そうだよね?

島原市

写真 島原市 

島原に着くとまず最初に島原城へ行った。

天守閣の階段を5階まで登って展望所まで行って、そこで写真を撮る。

有明海を眺めている。

私はその海を 素晴らしく美しい海を撮っている。

でもその時何を考えていたのか。

はるか遠くの中国が見えるかな、と。

島原武家屋敷

写真 島原武家屋敷

私は島原のどこかに出かけていて、好きなところで好きなだけ写真を撮っていた。

ふらふらと、気ままに時間を潰す。気の向くままに武家屋敷を散歩したりする。

気の向くままにひとりで旅行のことを思い出す。

傘をさしながら写真を撮っていた。

私はそれを覚えている。

雲仙市

写真 雲仙市

以前書きかけたのだけれど、書けなかった文章がここにある。

私は雲仙での最初の旅のことをもう一度思い出していた。

日没前に私がトレイルしたときのことを。

展望台に出ると、そこからは旧市街と雲仙地獄が見渡せる。

私は歩いてはシャッター、歩いてはシャッターていうのをやっていた。

私は思った。私の人生はここにある、と。

島原半島

写真 島原半島

まったく見事なヘアピンカーブだった。

手前には少しススキが咲いていた。

クリアな白い空に遠くに海が見える。

心は穏やか。

カメラを持って車を出た。

そこで私は山を、空を、はるか彼方の海をじっと見つめた。

すべてが素晴らしい。すべてが。

その午後に起こったことを、私は思い出しているのだ。


Shimabara Peninsula

It was a stunning hairpin curve.

There were a few Japanese silver grass blooming in the foreground.

The clear white sky with the ocean in the distance.

My heart was at peace.

I got out of the car with my camera.

There I stared at the mountains, the sky, and the sea in the distance.

Everything was wonderful. Everything.

I am remembering what happened that afternoon.

あとがき


 この記事の序文を書こうと思ったが、私は書くのを辞めた。でもいろいろ考えて、やはり何か少し書いておいた方がいいかもしれないと思った。でも序文ではない方がいい、と私は思った。

 序文というのはいささか堅い感じがするのだ。旅行記にせよ、詩にせよ、自分の文章に序文といったようなものを付けるのは、五十を過ぎたくらいに書くべきなのであろう。でもあとがきぐらいなら書いてもいい、と私は思った。そのような経緯で、出来はともかくとして、このような文章を書くことにする。

 ここに掲載した詩は、 2021年から 2022年にかけて書いたものである。詩は発表した順に並んでいる。詩は2021年の年末から2022年の年始に行った長崎旅行をテーマにしたものである。

 私はこの夏に編集を始めたが、それぞれの詩をまとめることによってこの記事の出来はよくなっていると思う。私がすべて写真を撮っている。それぞれの写真はリタッチメントしてある。 

 私は自分の行った旅行について書くのが好きだ。書きおえた文章はよく手入れをし、英語に翻訳することもある。そしてそのあとで何度も読み直し、修正する。言葉を変えたり、句点の位置を変える。

 何もないところから新しいものを書かないといけないより、旅行へ行って撮った写真を見ながら書いたり、英語に翻訳したりする方が好きなのだ。少なくとも、何はともあれ、私はそれが良いスタイルだと思っている。自分ではとにかくそう思っているのだ。

名倉 康晴
       2022年7月28日 


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