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インゲボルク・バッハマン「デリカテッセン(調理済食品)ではない」翻訳+解説

デリカテッセン(調理済食品)ではない

もはや何も気に入らない。

私はアーモンドの花で
メタファーを飾り立てようか?
光の効果を使って
シンタックス(構文)を磔にしようか?
こんなにも多くの無駄なことで
一体誰が頭蓋を破壊するのだろう ―

私はそこにある
(最下層の者たちのための)
言葉で、
理解するに至った

飢えを
   恥を
     涙を
そして
      暗闇を。

清められていない咽び泣きを上げて
絶望しながら
(それでいて私は絶望のあまりまだ絶望している)
多くの悲惨なことについて、
患者の数について、生活費について、
私は折り合いをつけていこうと思う。

私は書いたものを疎かにはしない、
自分を疎かにするのだ。
他の者たちは
実際のところ
言葉でもって切り抜ける術を知っている。
私は私のアシスタントではない。

私は
思考を捕虜にしようか、
照明を当てられた文という独房の中に連行しようか?
目や耳に
一級の一言を供そうか?
母音に宿るリビドーを探求し、
子音という、私たち愛好家にとっての価値を確かめようか?

雹が直撃した頭で、
書字痙攣を起こすこの手で、
三百もの夜の重みの下で
私は
紙を引き裂き、
煽動された言葉のオペラを一掃しなければならないだろうか、
こんな風に破壊しながら。私 君 そして 彼 彼女 それ

私たち 君たち?

(だがそうすべきだ。他の者たちはすべきなのだ。)

私の部分、それは消え去るべきだ。

(aus: Kursbuch 15)


◆解説

インゲボルク・バッハマンは、1926年生まれのオーストリアの詩人・小説家で、いわゆる〈47年グループ〉の作家の一人として知られている。日本でも邦訳が多数存在しており、主著の一つである『三十歳』は、岩波文庫で読むことができる。23歳の若さでハイデガーについての論文を書き、博士号を取得した彼女は、脚本家兼編集者としてラジオ局に勤めていたが、1953年に詩集『猶予の時』で詩人としてデビューする。

そして今回取り上げる「デリカテッセンがない」は1968年に、H・M・エンツェンスベルガーが当時の編集長を務めていた雑誌『時刻表』第15号に掲載された詩の一つだ。これには実は既訳があるのだが、そちらの訳は、かなり直訳調気味で正直読み辛い。確かに原文も造語や省略があり、一筋縄ではいかない部分はあるが、だとしても原文か(あるかは知らないが)英訳で読んだ方が良いかもしれない。

ともあれ詩の話に戻すと、この詩は既に多くの研究者たちによって、バッハマンの「詩そのものに対する態度表明(声明)」として理解されてきた。この辺りの解釈の系譜は Kazaoka(2014)に詳述されているが、どうやら「芸術のための芸術」という傾向を批判する詩として、つまり美食的な珍味(Delikatessen)としての芸術を否定するものとして理解すべきものであるらしい。確かに、この時代のドイツでは―日本もほぼ同時期に―文学と政治の関係性について激しい論争が巻き起こっていた。文学とは、来たるべき社会を予見するものなのか、あるいは社会主義リアリズムよろしく、社会の悲惨さを剔出したり、あるいはそこで働く労働者たちのあるべき姿を描くものなのか。そうした問いが噴出した時代だった。

そうした時代において、「自己(das Ich)」と「叙情的自我(das lyrisches Ich)」の分裂を否定語を用いることで創造的原理として反転させるバッハマンの修辞法は、ある意味ではかなり実存主義的な様相を呈しているものの、生涯どこにも居付くことができなかった彼女の言葉の在庫調査を見ているようである。

【参考文献】
Yuuki, Kazaoka, 2014, "Rhetorische Frage und die Antwort ,Nein’: Zu Ingeborg Bachmanns Gedicht Keine Delikatessen," Japanische Gesellschaft für Germanistik (Hg.) Neue Beiträge zur Germanistik, Band 13 / Heft 1/2014, 165-85.

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