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『SeaBed』聖地巡礼記⑤須磨海浜水族園編

スマスイ正面。

今回紹介するのは、2024年春にリニューアルオープンするというスマスイ(須磨海浜水族園)である……のだが、老朽化により、2021年4月から本館以外の施設が全て解体工事されているため、現在も絶賛改装工事中である。そして先に『SeaBed』の聖地を挙げてしまうと、リュウグウノツカイは本館3階の展示ゾーン、佐知子と貴呼が座って魚を眺めるCGは「世界のさかな館」、そしてデンキウナギの放電は、「さかなライブ劇場」の三か所である。そのため、現地に行っても現在見られるのはリュウグウノツカイのみである……そして、同地を訪れた当初、リュウグウノツカイのことはあまり覚えていなかったため、聖地巡礼なのにほとんど「リニューアル工事期間中のスマスイを見に行くだけの人」と化していた。

「世界のさかな館」。1:43秒あたりの開けた場所が聖地?

「さかなライブ劇場」。デンキウナギの放電。

『SeaBed』と直接関係はないが、生きたリュウグウノツカイを捉えた動画。

CGの場所も見れない、デンキウナギも見れない、リュウグウノツカイも記憶にないと、『SeaBed』聖地巡礼記の中でも但し書きが多くなってしまうことを承知の上で、本館に行ってみた感想でも記そうかと思う。リニューアル工事中の現在、スマスイは本来の5分の1以下ぐらいの展示しか見るところがないが、その分入場料は700円と破格だ。……が、それ相応のものしかないということの裏返しでもあるため、写真を見て貰えば分かるが、設備はかなり古く(須磨海浜水族園の開園は1987年)、良くも悪くもノスタルジックな光景を醸し出している(私は好きなのだが)。

本館1階通路。人がいないと神秘的に見える?
目玉とされている「波の大水槽」。
解体間際の「さかなライブ劇場」。

では、『SeaBed』で須磨海浜水族園がどのように登場したかを見てみよう。スマスイは、第三章の「1981年11月07日」という節で、佐知子と貴呼の遠足先として描かれたため、正確に言えば「須磨海浜水族園」ではなく、その前身である「須磨水族館」にあたる。同水族館が閉園し、現在の須磨海浜水族園になったのは1987年なので、おおかた須磨水族館の後半に見に行ったということになる。

スマスイへの行き方を逆算すると、神戸市立こうべ小学校あたりが候補地か?
どれもスマスイの施設だが、現在はもう見られない。
専用CGはこの1枚のみ。

せっかくなので、この水族館の描写と、同じ章にある「1979年10月06日」という節で描かれる、運動会の思い出から、佐知子と貴呼が具体的にはどれぐらいの年齢でこのスマスイに行ったことになるかを計算してみよう。以下、数年前の私のメモから考証すると、「1979年10月06日」には、「貴呼の友人二人、四学年から入部したバスケットボール部の仲間」という記述があることから、二人はおそらく1979年段階で小学校5~6年、つまり11歳から12歳ごろだったと考えられる。つまり二人は1967年~68年頃生まれになるため、1981年段階では、中学校1~2年であると考えられる。

そして、水族館の描写の後、貴呼は繭子との会話で、いくつか印象的な話を行う。それはつまり、ウーパールーパーの話と、大阪に新しくできた水族館の話だ。前者は「少し前にCMで流行った」とされていることから、1985年の日清焼きそばのCM、そして後者はもちろん「海遊館」のことで、同所は1990年7月に開園していることから、これらの会話がなされた時代がおおよそ1990年代前半であると仮定できる。そしてさらに、Tips Ⅰ「楢崎診療所 208号室」の描写から、貴呼が亡くなったのが28歳であることを加味すると、その時期はおおよそ1995年~6年である。

と、それなりに筋立てて推測してみたがいかがだろうか。次回はどこにするか定かではないが、もしかしたら大阪になるかもしれない。大阪も大阪で要所要所に聖地が多く(確か3ヶ所)、もし行かれる際は大阪の南北を移動することになるだろう。


◆オマケ:スマスイについていくらかの雑記(※やや政治的です)。

スマスイで撮ったアカクラゲ。

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