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アンネマリー・ツォルナック「二つの夏」翻訳+解説

二つの夏(zwei sommer)

ぼくは
家のいりぐちで
根っこで つっかかる

太陽はやわらかく
ぼくはざらざらした
シラカバの木に頭をねかせる

(目を閉じても
壊れない
イメージ

馬たちが
カーダンパーに追い込まれ
小川は
ひづめをほとんどぬらさない)

スズメバチが刺す

これは
かんぺきな


◆解説
 この詩の作者であるアンネマリー・ツォルナックは、1932年にドイツ中北部、ハルツ山地のアッシャースレーベンに生まれ、1953年からはバルト海に面し、デンマークとの国境付近にある港町キールに移り住んだ。彼女の詩作活動は最初、アルンフリート・アステルが編集する『抒情詩集(Lyrische Hefte)』という小冊子や、前衛的なリトルプレスを出版したりすることで始まった。1961年にはハンス=ユルゲン・ハイゼという作家と結婚し、以降はアフリカや南アメリカなどの旅行記などを多数出版したりもしている。1979年にはフリードリヒ・ヘッベル賞を受賞したり、キール市の文化賞を女性で初めて受賞したりしている。
 この「二つの夏」は1968年にリトルプレスで出版された同名の詩集に最初収録されていた。彼女の作風の特徴として挙げられるのが、まず全ての文字を小文字で書き、さらに句読点もほとんど用いない(唯一この詩にはコロンが使われていたが)ことである。また、押韻も特に行わず、純粋に言語が織り成すイメージの世界の描写に終始している。「二つの夏」とは「ぼく」が体験する夏と「ぼく」が思い描くイメージの中の夏という二つを指しているのだろう。シラカバという木がまるで季語のように「夏」で用いられるのは、詩人がドイツ北部という比較的寒冷な土地で過ごしていたことを喚起させる。
 また、括弧の中で描かれるイメージの夏の内容は、極めて危うい世界を描いている。まず、カーダンパーというのは、炭車や鉱車、トロッコなどの運搬車に使われる設備で、それらを車体ごと傾けたり、あるいは倒立させたりすることで、その積荷を落下させて取り卸す設備のことである。そうした箇所に数頭の馬が追いやられ、それでいてそこには小川が流れており、その小川はしかし馬の蹄を濡らすことがないのだという。そうしたイメージの「危うさ」を警告するかのように、作者の分身である「ぼく」はスズメバチに刺されるのだ。
 こうした「二つの夏」が「かんぺきだ」と形容されるのは、ある意味で1968年という時期に起因していると言ってもいいのかもしれない。政治の嵐が吹き荒れる時代(実際ドイツ史でもこの時代を「夏」と形容する)に、このような自然詩を書くことは、極めて特異なことだっただろう。カーダンパーに追いやられる馬を例えば学生運動の様子に置き換え、その蹄を濡らさないことを、「結局のところ学生たちや反体制知識人たちは頭で考えるだけで、足を動かさない」様子を皮肉っている……という風に拡大解釈することももしかしたらできるかもしれない。だが、そうした置き換えが不要であることは、この詩がまとっている淡さからも明らかだろう。

◆原文

zwei sommer

ich stolpere
über die schwelle meines hauses
über eine wurzel

die sonne ist zärtlich
ich lege meinen kopf
an eine rauhe birke

(unzertstörbar
bei geschlossenen augen
das bild:

pferde
werden in die wipper getrieben
das flüßchen
benetzt kaum die hufe)

eine wespe sticht

dies
ist ein vollkommener
sommer

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