クーポンと冬眠
無印良品で誕生月に500円クーポンをもらったので、どうせなら普段買わないものをと、700円程度の小さな観葉植物を買った。
700円から500円引いてほとんどタダで買ったような植物だけど、初めての観葉植物だから、植物って本当に生きてるんだと思った。
数年前のそのときから毎年、誕生月にクーポンをもらっては植物をひとつ買うのを恒例にした。
5つ目に買ったのは木みたいな植物だった。
小さなサイズの観葉植物は、草のようにワラワラと小さな葉が生えているものがほとんど。だけどその植物には少ないが大きな葉が、細いけど幹があって、木みたいだった。
フィカス・ウンベラータ、と土に刺さったプレートに書いてあった。
観葉植物は太陽をそこまで必要としないし、水も土が乾いたタイミングであげるだけで勝手に育ってくれる。
それでもときどき原因不明でバリバリに枯れてしまうことがあった。
慌てて水をやっても太陽に当ててももう遅く、乾いた葉が床に落ちてガサッと音のする日が、すべての葉がなくなるまで続いた。
葉が完全に落ちきると、ホームセンターで交換用の安い植物を探して、ビニール手袋で古いのと入れ替えた。屋外で売っている植物は鮮やかだが太陽を必要とするらしく、室内ではすぐ枯れてしまうことも、何度か取り替えるうちに知った。
こうしてたびたび人員を変えて続く生活。
ただ、フィカス・ウンベラータは何の変化もなく、大きな葉を部屋の隅で掲げ続けていた。
が、昨年末の引っ越しで大ダメージを与えてしまった。
運んだときにそれぞれ包んだビニールから、到着後すぐに出したつもりだった。けどまるで全力疾走の後みたいに疲弊している。包んだ形に傾いてしまったものもあったし、何よりフィカス・ウンベラータは葉の色さえ変わっていて、もはや瀕死状態に見えた。
そして数日以内に葉をすべて落とした。
まだ生きてるかもしれない、また生きるかもしれないと、水をあげベランダに置いた。でも1ヶ月経っても何の変化もなく、もう生きないかもしれなかった。
引っ越しの何やかんやでホームセンターに行くたびにあちこちで植物コーナーを回ったけど、あんな木みたいな植物は全然置いていない。
なら全く違うものに替えればいいのに、なかなか踏ん切りがつかなかった。
1本のジーンズを1年で履きつぶしては買い直してた学生の頃も似たような気持ちだった。
もうボロボロだからと買いに来てるのに、試着するとどれも劣って見える。色が、形がと不満を言って決めきれないのは、1年間履き続けてきたジーンズの残像が邪魔をするからだ。
それでも渋々新しいのを買えば、1週間後にはむしろお気に入りになる。一応捨てないでおいた古いほうのジーンズが、本当に古く見えた。
だから、フィカス・ウンベラータの影を追ってしまうのがその残像のせいということも、新しいのに替えれば今の枝だけの植物よりずっと気に入ることも分かっていた。
ーーーーー
2月のある朝、寝転びながらグーグルマップで「植物」と検索してみると、自転車で15分程度の場所に評判の良い園芸店があることが分かった。専門店ならもしかしたら、ということで午前のうちに出かけてみた。
晴れた日だからか、お店の外にたくさんのカラフルな苗が置いてある。自転車を停めて歩いてまわるとふわっと花の香りがした。目当ての屋内のコーナーがこのお店には2つもある。さっそく中に入っていった。
仮にフィカス・ウンベラータがなくてもこの日で決めよう。
そのつもりで、頭の中に良かった植物をキープしていった。これは葉にボリュームがあっていいかも、これは色があまり好きじゃないかなと、本当はなかなか見つからない本命にヤキモキしながら、ぐるぐると回った。
そのままもうひとつの建物も全部見たけど、フィカス・ウンベラータは見つからなかった。どうしても諦めきれず、同じ道をもう1周歩いてみる。さっき保留にした植物の前で、これにするのかぁとなぜか気分を落とした。
トボトボと歩いて最後の最後、なぜか暗い一画に、見たことのある植物が置いてあった。あれ? 下を見ると、プレートにフィカス・ウンベラータと書いてある。もう一度植物に目をやると、その枝に「2500円」と値札がくくられていた。
え?
見たことある植物だ。でも1周目で見逃されてもおかしくない植物。
うちにあるのとほとんど同じ。「葉がひとつもない枝だけの」植物。それに2500円の値がついている。
すぐスマホを取り出して、タンタンタンと検索する。
「フィカス・ウンベラータ 葉 落ちる」
そして出てきた検索結果の上から3番目の記事に、『冬に葉が落ちてしまったが、枝は生きているようだった。これは冬眠してるだけで、春になればまた葉を付けるはず』と書いてあった。実際は冬眠でなく休眠と書いてあったのだけど、あの冬眠かよ、とすでにクマとフィカス・ウンベラータを結びつけていた。
さらにその記事の終わりに、春になり本当に葉をつけたフィカス・ウンベラータの写真まで載っている。本当なんだ。
言われてみれば、思い当たる節がないわけでもない。
確かに葉は落ちたのに枝はバリバリになってないし、そういえばその枝の先に小さなタケノコ型の緑の謎の部分があった。あそこには生命が詰まっていそうな気もする。
そして目の前で葉のない植物が2500円で売られている。
これ、まだ絶対生きてるじゃん。
ふつふつと確信が湧いてきてからは、それ以上何も知りたくなくなった。店員さんに質問もせず、店を出てすぐに自転車に乗る。早く家に帰らなきゃいけなかった。
記事に書いてあった「水を与えないこと」と「室内の暖かいところに置くこと」を実行しなければならないからだ。やばいやばいやばい。
ただ、水を捨てて室内に置いても、土はすぐには乾かないもの。
おやすみしてる植物なら、なおさらそうなんだと思う。水分が多いと根腐れするらしいのが心配で、一度ドライヤーを手にしたけど、さすがにアウトな気がしてやめた。
2週間後、希望通り土はカラカラに乾いて土色になったが、今度は本当に水をあげなくてもいいのかと不安になる。もともと水しか与えてなかったのに、この植物は生きてけるんだろうか。というか生きてるの? 休んでるだけなんて本当?
でもこのたけのこ型の緑色は、あの葉の緑色にも似ている気がする。
またあんなに大きな葉をつけるなんて想像しがたいけど、信じれそうなら、信じて待ってみたい。
ーーーーー
待ってる間、必死になって書いたのが前回のエッセイだった。
気持ちが、書きながらどんどん高まって、これが広まらないなら俺はもういいとすら思った。それまでずっと「誰も見てなくても描き続ける力」という言葉を胸に何年もやってきたし、それは今でも大事なことだと思ってる。
だけどその支えをぶち壊してもいいやと、なぜか考えてた。
今まで一度も、このぐらいもらってもいいでしょと思った反響の半分ですらもらえたことはなかったし、今回もそうなるだろうと本当は覚悟してた。けれど結果的にエッセイは、だいぶ上に設定してた想定も遥かに超える反響を呼んで、それがめまいに変わって、ネットをおやすみすることになった。
ずっと見つけてほしかったのにもう見つけてほしくなくなったり、これが広まらないならもういいと思ってたのに、広まってももういいと思いそうになった。うれしいですと言いたかったのに、体がどうしても震える。
ふたつ、気づかなきゃいけないことがあった。
ひとつは、ネットの外側にも世界があるということ。もうひとつは、非難のほうに視線が行くものだということ。実は、どちらも今までエッセイに自分で書いていたことだった。
どんなに売れているミュージシャンでも、数件の低評価ボタンに傷つくはずだとずっと思ってた。今度はそれを体で理解しなくちゃいけない。心を支配された結果、称賛をモノクロに、非難をカラフルになんてしちゃいけない。
そう頭では分かっても数日は動機が止まらず、食事と睡眠が下手になった。寒くないのに震えて起きたり、かと思えば異常な寝汗をかいて起きることもあった。体に反応がくることは今まであまり経験がなかったので、どうやら緊急事態のようだった。
それでもおやすみを1週間以上続けていると、不意に鼻歌を歌えるようになったり、新しいテレビやラジオを見聞きできるようになったり、毎日書いていた詩もまた書けるようになった。一生続くかもしれないと思ってたから、一生よりずっと、早くてよかった。
回復していく中で、決まっていく覚悟もあった。
どんなに売れているミュージシャンでも、数件の低評価ボタンに傷つくはずだと思ってはいるけど、その低評価ボタンではなくせないものもある。必死でエッセイを書いていた自分は、むしろえらかったと思う。
表現するには覚悟が必要だ。他者の絡むことにちょうどよくなんてできない。
行ってしまったなら、頑張って飛行を続けたい。
ーーーーーー
3月になる頃、フィカス・ウンベラータは葉をつけた。
小さな小さな葉だったが、見たことのある葉っぱだった。
止まっていた時間を早送りで取り戻すよう、葉はどんどんと大きくなり、数も元より増えてきていた。またこんなに大きな葉をつけるなんて本当は信じにくかった。
だけど冬眠してるあいだ、パワーを溜めていたんだよね。生きるってときどきたいへんだけど、休んでれば勝手に溜まってくエネルギーがあるんだよね。
それは、今ではあんまり不思議じゃないよ。
本当に疲弊したときは、エンタメに手を出すのも難しくなる。
それでもそんなカラカラな状態で再生した何かが、のちのエネルギーになることもある。そういうパワーに、今度はなりたいです。
新曲ができました。
関連エッセイ
〈ネットの外側にも世界があるということ〉
グーグルマップで行く! 世界的世界旅行
https://note.com/yasuharakenta/n/n4e7f58d6cd3e
〈非難のほうに視線が行くものだということ〉
灰色とオレンジ
https://note.com/yasuharakenta/n/n3742fce91e9e