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コロナ渦中に入院した友人の話

「コロナで大騒ぎのこんな時ですが、わたし、今日から入院しました」

先月の半ば、わたしが一番心を許している友達、せっちゃんから来たラインの一文。ちょうど仕事の区切りが良かったので、職場の近くの定食屋でランチを食べていたときだった。「何があったの?」と返信しようと思ったけれど、そのまま反射的に通話ボタンを押すと

「これからCTなの。悪いんだけど、ユニクロでパジャマと、それからおへそまで隠れるでっかいパンツを二枚買って持ってきてもらえないかしら? だって、検査とかあるし、Tバックで入院は気まずくない?」

 周りに人がいるのだろう。せっちゃんはヒソヒソ声でそれだけ言うと、ブチっと通話は途切れた。
 確かに、Tバックで入院とは聞いたことがない。それに普通のパンツに履き替えて入院できなかった、っていうことは、もしかしたら急を要する入院だったのかも。通話も切れてしまったし、これは彼女が所望するものを買って持っていくしかなさそう。というか、いつも彼女はそうなのだ。向こう見ず、計画性ゼロ、行き当たりばったり。だけど、なぜだろう。せっちゃんが困っているところを、私は見たくないと思ってしまう。だから、毎回「どうしよう」とSOS的なラインが送られてくるたびに、「あぁ、またか」と思いつつも「しょうがねえなぁ」と自分の予定を融通してしまう。
 例えば、去年、お店を引っ越した(えっちゃんは、六本木でラウンジバーを経営していた)際には、何故かお店のコースター、看板、お店で働く女の子たちの名刺などなどをいい感じに作ったし、SNSにアップする写真もこれまたいい感じに撮影、加工したし、移転オープンの日にはカウンターの奥で延々とグラスを磨いた。なんか、やっちゃう。えっちゃんに仕えてしまう。
 ちなみに、私は小さな出版社で編集者をしていて、数年前に離婚していて、手はかからない年齢の子供を育てていて、アラフィフと呼ばれる少なくともフットワークよく動き回る年代はとうに過ぎていて、そして、まったく夜のお水の世界とは無縁なのである。しかし、せっちゃんは、そんなこと御構い無しに、私にできそうなところを一つ、二つと救って、ひょいっと放り投げ「お願い! やっといて」と言うのが本当にうまいのだ。

 さて、そんなこんなで、早めの夕方、仕事を切り上げて新宿タカシマヤの中にあるユニクロに行き、ご所望のおへそまで隠れるパンツを探した。「ジャストウエスト」っていうタイプのものを見つけ、それを二枚カゴに入れる。そして、ひざ下まであるロングTシャツにレギンスがセットになった家着的なものを見つけ、それも2セットカゴに入れた。それと、汗をかいてもさらっと爽快、エアリズムのブラトップ。流石にロングTシャツ1枚にノーブラは、まずいだろ、というわけで。
 会計を済ませて、地下の食品街におりた。崎陽軒で昔ながらのシウマイを2箱、シウマイ弁当を一つ買った。夕方はごった返す地下の食料品街も、連日のコロナ報道で閑散としている。崎陽軒のお弁当が夕方なのに高く積まれたままだ。

 タカシマヤから新宿駅へ。デパートの食品売り場は空いていても、街には人はちゃんといる。人混みを縫って総武線のホームまで行き、電車に乗って病院へ向かう。数駅先にあるその大学病院は、すでに厳戒態勢で部屋での面会は禁止、一階の受付で記帳後、病棟のラウンジで手短に面会するよう念押しされた。

 「着いたよ」

 せっちゃんにラインすると即座に既読になり、しばらくすると病棟のラウンジにバツが悪そうな様子でやってきた。病院から借りたであろう、検査着のようなものを着ているけれど、ラウンジにぽつぽつと座っている見舞客やワゴンを押して忙しなく移動している医療関係者の中で、まるでそこだけ花が咲いたように彼女は目立っていた。すっぴんで、無造作にアップにされた紙は所々遊び毛が出ているけど、マツエクで目はぱっちりしているし、そもそも彼女は彫刻のように鼻筋の通った美人なのだ。

「せっちゃん、あんた、年末からまだ3ヶ月しか経ってないけど、今度はなに?」
「言われると思った」

 実はせっちゃんは年末年始、同病院に子宮摘出手術で入院していた。彼女の説明では正式な病名はわからなかったけれど、生理のたびに子宮から不正に出血し、それが原因で失血死してもおかしくないレベルの貧血状態だった。年末年始なら店休まなくていいし、ちょうどベッドも空いてるし、と行って入院したはいいけど、入院してからは「怖い」だの「痛くて死ぬ」だよ想定外の大騒ぎだったし、「まずくて無理」と病院食に一切口をつけず病院側にも呆れられていた。
 結局、年末年始の入院は予定よりも3日早く、先生方の制止を振り切って終了し、退院の翌日の正月明けにはきっちりいつものように店を開けた。
 
「お酒は1ヶ月飲まないこと」
「SEXは3か月しないこと」

この2つはぜっっったいに守って下さいね、と病院から念押しされて「ま、しょうがないか」と言っていた年末年始。このコロナ騒動のわすが約2、3か月のことだ。

そして3月。彼女はまた婦人科の同じ病棟に入院していた。ははぁん、私は今回の入院の理由が容易に想像がついた。

「せっちゃん、あんた先生との約束破ったね?」

先生との約束は、先述の飲まないこと、ヤラないこと、の2つだ。飲まないことは、退院後2週間で破っているのは知っていた。

「あんた、アレ、やったでしょ?」

とてもアラフィフの女二人の会話とは思えない品格のなさ。せっちゃんは「くっくっくっ」と押し殺すように笑って

「さすが、私の親友だわ。だって、彼が〝2か月も3か月も変わらんやろ〟って言うんだもの。こんなことになるとは思わなかったのよ」
 
 やっぱり。 

 彼女の話によるとここまでの経緯は、

先生の言いつけを破ってやりました。
その翌日からしくしくとお腹が痛くなった。
そのしくしくは、じくじく、ズキズキへと変わり、冷や汗だらだら、熱もあった。
たまたま術後の2回目の検診があったから病院に来て、症状を申告した。

「で、入院となったのね」
私が言うと
「そゆことなんだけど、今回ばかりはちょっと恥ずかしいわ。病院からはなんでこういうことになったのか、まだ聞かれてないけど先生からは『もうちょっとで年末の手術の傷口がきれいになるんですよ、それまではね、どうにか大人しく我慢して』って言われたわ」
 先生、完璧原因分かってるじゃん。聞いてないんじゃなくて、聞きにくいのだと思う。病院は。

「その崎陽軒の紙袋から、美味しい匂いがする」

 先生の言いつけは守らないし、病院のご飯は食べないし。まったくどうしようもない女だわ、と思いながらも、私はシウマイ弁当を一つせっちゃんの前に置いた。

「で、いつまで入院するの? お店はどうするの?」
「ここ2、3日は予約が入ってしまってるから女の子たちだけで営業する予定。入院は1週間くらいかな。でね、その後はコロナを理由にお店休業する。ほら、一応世間一般的には接待を伴う飲食って濃厚接触になっちゃうからさ。それに何かあってから営業自粛しても遅い」

 結局、コロナを理由にした彼女の英断は、今となっては正しかった。お店で働く女の子たちには、休業中、いつものおおよそ半分くらいの手当てを保証し、退院後は意外にも大人しくしている。せっちゃんが退院した翌日、その病院からは院内感染も発覚したし、後に医療関係者が何人も感染する事態になった。彼女の同業者たちは『接待を伴う飲食は自粛』の対象となって苦境を強いられているし、感染者も出ている。
 一足早く休業を決め込んだせっちゃんだけど、その間の店の家賃は、店の常連でもあった大家が「家賃は要らないから、再開したらまた楽しませてよ」と言って免除になったそうだ。
 
「せっちゃんて、結局いつもツイてるのよね」
 4月の上旬、私たちはそれぞれの家でスカイプの画面越しにビールを飲んでいた。店で飲めないなら家で飲めばいいじゃないというせっちゃんの提案でここ数日スカイプ飲みをしている私たち。
「ツイてる、とは自分では言い切れないけど、私ねー、あまり悲観しないのよ。知ってると思うけど」
「それは知ってる。私と真逆だから、ある意味うらやまです。私は慎重で、最悪の事態ばっか考える割に、いざ行動すると後悔ばっかするもの」
 そう。私たちはいつも、まったく掠りもしないくらい真逆なのだ。
「でも。平時なら思いつきを大事に行動するけれど、今はね。世界中一丸となって慎重にならないとね」
 せっちゃんにしては珍しいことを言うものだ。

「早くコロナの感染拡大が収束して、早く濃厚接触したいじゃなーい。じゃないと店も儲からないし、プライベートは楽しくならないし」

 そうだね、今はじっとしてコロナが過ぎるのを待つしかないね。たった数週間前までは気にも留めなかった、人との「接触」が、この日はなんだかすごく懐かしくなった。

 

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